竹林軒:アーカイブ:音楽

思しきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心ちしける(大宅世継)

音楽のリサイクル

recycle.jpgしかしここ20年ほどの日本音楽界のパクリの横行は、少しひどすぎないか。ネットでもいくつか話題になっているようだが……

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アセイ、ザ・グレイテスト!

asei.jpg30年ほど前のサントリーのコマーシャルで、ギターのアルペジオに続いて「ダンダンディダンダ、シュビダバー、オレーレ、レエレオー」というようなスキャットが流れていて、独特の雰囲気があるなかなか良い曲だなーとずーっと思っていた。てっきりジャズのスタンダードかなんかだと思っていたが……

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上野茂都という人

ueno.jpgメロディや演奏も面白いが、上野茂都の特色は、タイトルからもわかるようになんといっても詞である。「おとうふ」の詞は「おとうふに 紫蘇に茗荷に花鰹 おだてられたか若旦那 なめた一口汗をかき」……

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パクリのうたが聞こえてくるよ……ゲロッゲロッ

asei2.jpgよくよく聴いていると、ブリジストンのコマーシャルで流れていた「どこまでも行こう」にメロディがそっくりではないか。そっくり……というよりもまったく同じだ。この「記念樹」の歌に合わせて「どこまでも行こう」を歌えるくらいだ……

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2005年4月20日、記

音楽のリサイクル


recycle.jpg 先日昔のドラマ(1971年TBS作の「日曜劇場・父」、脚本は山田洋次)を見ていたところ、登場人物が「早春賦」を歌っていると、途中から「知床旅情」に変わってしまうというシーンがあった。つまりこういうこと。「たに〜のう〜ぐい〜す、うた〜はおぼえど〜」に続いて、「のんでさわ〜い〜で、おかにのぼれば〜」となる。
 最近読んだあるミニコミ誌のマンガでも、「知床旅情」が「早春賦」のパクリだという記述があって、そのとき初めて気づいたのだが、確かによく似ている。というか、これは完全にパクリだと思う。ちなみに「早春賦」は中田章作曲、「知床旅情」は森繁久弥作曲である。まあ、森繁久弥は音楽家としては素人みたいなものなので、ある意味替え歌と考えることもできる。許容範囲か……。
 「浜辺の歌」の冒頭が「峠の我が家」の冒頭に似ているのも有名だが、これも1小節くらいのことなので問題はない。
 しかしここ20年ほどの日本音楽界のパクリの横行は、少しひどすぎないか。ネットでもいくつか話題になっているようだが(「オレンジレンジ」が話題になっているが、これがグループ名なのか曲名なのかよく知らないのでコメントできない)、実のところ、どこかで聴いたような曲は非常に多い。最近の日本の流行歌(J-POPなるもの)はほとんどそうだと言っても良いくらいだ。もちろん意図的にパクったか、頭の中にメロディが残っていただけかは判断できんが。意図的にやっていなければパクリと決めつけることはできない。もちろん、いずれにしても音楽家としての才能には大きな疑問符が付くところだが。
 小林亜星が服部克久をパクリで訴えたのは記憶に新しいが、そのときも亜星氏は記者会見で、最近の日本の音楽界でパクリが横行していることを訴えていた。
 個人的には、流行歌のパクリが横行し始めたのは80年代だと思っている。コマーシャルソングが流行し、耳障りの良い歌ばかりがヒットするようになったのはこの頃だ。だが、この「耳障りが良い」というのがくせ者なのだ。ある曲を初めて聴いたときにどこかで聴いたことがあると感じた場合、かなりの確率でその曲に対して親近感を憶える。顔が知人や芸能人に似ている人に親近感を憶えるのと似ているのかも知れない。大勢が親近感を持てば、間違いなく大ヒットにつながる。コマーシャルと提携することでヒット曲をとばすという手法もこれを応用したものだ。意識しないで何度もコマーシャルで耳にしていれば、どんな曲であっても、そのうち「どこかで聴いた」曲になる。以前の曲をパクれば、新しい曲を考えるというやっかいな手間が省ける上、こういう理由で成功につながりやすい。そういうことであれば、安易な人間はすぐにそちらに走るだろう。
 しかし、「悪貨は良貨を駆逐する」のたとえ通り、安易な方法が流行れば本物はやがて廃れてしまう。やがてオリジナルの曲をしっかり作るだけの技量を持つ人が日本の音楽界から姿を消すというわけだ。それが今の状況。
 たまに後学のためと思ってテレビの音楽番組を見たりすると、安易な(おそらくどこかでパクったであろう)メロディが次から次へと姿を現すのに驚く。いくらリサイクル流行りっていっても、音楽までリサイクルしなくても良さそうなものだが……。
 日本の商業音楽界の前途は暗い。

追記
 80年代を代表するヒットメーカーにサザンオールスターズが挙げられるが、サザンオールスターズの「YaYa」(桑田圭祐作曲)は「虹と雪のバラード」(村井邦彦作曲)にそっくりだ(初めて聴いたとき「虹と雪のバラード」のパロディかと思ったぞ)。この歌はいまだにメロディ面が高く評価されているようだが。「いとしのエリー」や「花咲く旅路」も、最初に聴いたときどこかで聞き覚えがあるような気がしたが、いまだにわからない。ひょっとしたら、単にそう思っただけかも知れない。ちょっと曲作りが安易ではないかと感じているのでここに書いておく。

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2006年2月18日、記

アセイ、ザ・グレイテスト!


asei.jpg 30年ほど前のサントリーのコマーシャルで、ギターのアルペジオに続いて「ダンダンディダンダ、シュビダバー、オレーレ、レエレオー」というようなスキャットが流れていて、独特の雰囲気があるなかなか良い曲だなーとずーっと思っていた。てっきりジャズのスタンダードかなんかだと思っていたが、先日図書館で借りた「小林亜星CMソング・アンソロジー」というCDにこの歌が収録されていた。ということは、この歌は小林亜星氏の作曲だったということになる。ちなみにタイトルは「人間みな兄弟」(「夜がくる」というタイトルもある)。歌っている人はサイラス・モズレーという人で当時日本に住んでいた牧師さんかなんかだそうな。
suntory-old.jpg このCDには、他にも「ワンサカ娘(レナウン)」、「どこまでも行こう(ブリジストン)」、「イエイエ(レナウン)」、「ブルーダイヤ(ライオン)」、「酒は大関こころいき(大関:歌は加藤登紀子!)」、「モクセイの花(日本生命:歌はデューク・エイセス!)」、「この木なんの木(日立:歌はヒデ夕木!)」など、懐かしいCMソングがいろいろ入っているが、すべて小林亜星作曲である。印象に残る数々のメロディや、ジャズ調から演歌調に至るまでのその多様性は、瞠目に値する。
 6時台のTBSのニュース番組のCMで流れていた「ニッセイのおばちゃん自転車で……」などというメロディを聴くと、かつての家族の団らんを思い出して心が震えてくる。もちろん、印象やイメージを残すのは音楽だけではないが、これだけ印象に残っているメロディを残しているとなると、やはりただ者ではないと言わざるを得ない。服部克久をメロディのパクリで訴えたなどというのは久々の快哉事ではあったが、やはりこの人にはそれだけの資格がある。偉いぞ、アセイ! ただの腰回りの不自由な人じゃないぞ!
 そうそう、ちなみに「人間みな兄弟」にはいろいろなバージョンがあり、そういうのをまとめたCDもあるらしい。興味のある人はこちらを参照してください。こちらのページでは、なんと試聴することもできます。良い時代になったもんだ……

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2006年3月7日、記

上野茂都という人


ueno.jpg インターネットがなければたぶんずっと知らないままで終わっていただろうという音楽や本があるが、この上野茂都(うえのしげと)という人はまさにそれ。
 『Folk Village VOL.4 URCコレクション』というCD(雑誌広告か何かで知って近所の店で買った)→「高田渡」(CD『Folk Village』にライブ版の「自衛隊に入ろう」が収録)→高田渡の数々のCD(詩人・山之口獏の詩に曲を付けていることを知る)→コンピレーション・アルバム『獏 詩人・山之口獏をうたう』→「つれれこ社中」(CD『獏』で「たぬき」という歌を歌っている)→「上野茂都」(「つれれこ社中」のメンバー)。
 この間、「高田渡」以降はすべてネットで調べて知ることになったんで、私と上野茂都との関わりはインターネット抜きには語れないということになる(そんな大層な……)。
 それで、上野茂都(ソロでCDを4枚出している)のCD3枚と「つれれこ」(1枚)のCDを買った。ちょっと曲目を見てみるだけで、どういうコンセプトの歌い手かが推測できるだろう(と思う……)。
 「炊事節」、「中飛車節」、「矢倉節」、「煮魚節」、「煮込み節」(以上『あたま金』より)、「型落ちブルース」、「焼き物百景」(以上『緑の人よ』より)、「手相節」、「おじやおやじ」、「漬物紀行」(以上『蕎麦屋の隅で』より)……。作詞作曲ともほとんどすべて上野茂都本人がやっている(先述の「たぬき」も『あたま金』に入っているがこれはもちろん山之口獏)が、メロディは大体、明治大正昭和期の流行歌調というか(「ズンドコ節」とかあの辺ですね)……そういうのが多いと思う。何せ上野茂都は三味線の弾き語りでうたうんだから。「つれれこ社中」で出しているものは、このほかに鈴木常吉(つれれこのメンバー)という人のアコーディオンも入っていて、なかなか良い味を出している。上野のCDも、三味線以外にピアノやサックス、チンドンなども入っていて、何ともカビくさいバックが味になっている。中でも上野耕路(上野茂都のお兄さんらしい)のピアノは、ジャズ調でありながら不可思議で面白い音を出している(特に「矢倉節」)。音の編成は、ファースト・アルバム(『あたま金』)がもっともカビくさく、段々モダンになっていくような感がある。どれもそれぞれ特色があって面白いが、セカンドの『緑の人よ』が一番とっつきやすいような気がする。
midori.jpg メロディや演奏も面白いが、上野茂都の特色は、タイトルからもわかるようになんといっても詞である。「おとうふ」の詞は
「おとうふに 紫蘇に茗荷に花鰹 おだてられたか若旦那 なめた一口汗をかき」
というもので、「矢倉節」の詞は
「七六歩 八四歩 六八銀なら 三四歩 七七銀 六二銀 二六歩ならば 四二銀」
というもの。「矢倉節」なんか、そのままじゃねえかと突っ込みを入れたくなるところだが、なんともとぼけた味わいがある。それにこの歌を憶えれば将棋が強くなるというおまけも付く。
 もう一つ「煮魚節」の一節を紹介すると
「魚を煮ましょう煮る時は 下拵えのその後で 飾りの包丁しておけば 煮ていて形が崩れない」
とくる。この人の歌はやたら生活感が漂うが、詞というものは、愛とか人生とか、一般的に生活感からかけ離れたものが多いんで、そういう意味でも異色だ。奇をてらっているだけではない奥深さも感じる。実用にもなる(「矢倉節」以外にも「煮魚節」とかね)珠玉の歌の数々である。
 ジャケットの絵も味わい深い。何でも本人が描いているらしい(この人は一体どういう人なんだろう)。
 近いうちに4枚目のCD『布団が俺を呼んでいる』(これも人を喰ったタイトルだ)も買ってシリーズをすべて揃えるつもりでいる。なお、アマゾンにリンクを張っているが、アマゾンでは入手に時間がかかったり品切れ表示になったりしているので、欲しいお方は、「メタカンパニー」というところ(送料無料)でお求めになるのが良いかと存ずる(言葉が上野茂都風になってきた)。

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2006年3月24日、記

パクリのうたが聞こえてくるよ……ゲロッゲロッ


 朝の校内放送とやらで、近所の小学校から月替わりで音楽が流されるんだが、今月の歌は、卒業式のシーズンということだろうか「記念樹」にちなんだ歌である。「校庭の隅にぃ〜、みんなで植えた記念樹ぅ〜」という歌で、どこかで聴いたことがあるな〜と思っていたのだが、ふと思い出した。フジテレビでやっていた(やっている?)『あっぱれさんま大先生』の主題曲だったあの歌か。あー懐かしい……と思いながら、毎日聴いていた(うちの家から校内放送がよく聞こえるんだ、これが)んだが、よくよく聴いていると、ブリジストンのコマーシャルで流れていた「どこまでも行こう」にメロディがそっくりではないか。そっくり……というよりもまったく同じだ。この「記念樹」の歌に合わせて「どこまでも行こう」を歌えるくらいだ。もしかしてこれがあの盗作騒動の歌か?とふと気が付き、ネットで調べてみたところ、やはり作曲は服部克久で、この「記念樹」が訴えられた件の歌であることがわかった。
「記念樹事件」(Wikipedia)

 次のページには、服部氏側の言い分が載っていた。
「記念樹裁判について」(http://www9.ocn.ne.jp/~w-and-b/hattori-san/kinenzyu.html、このページは現在存在しません)
 「音楽が音楽の3要素である、旋律と、和音と、リズムによって成立している」から「結果的に両曲の音の重なりのみを取り上げて」問題ありとするのが問題だということらしい。
 もっともらしい理屈をつけているが、メロディがそっくりであれば、リズムが違っていてもオリジナルとは言えないんじゃないか。かつてベートーヴェンの「エリーゼのために」を編曲して「キッスは目にして」などというタイトルでコマーシャルでしつこく流されていた曲があったが、あれなんかは雰囲気もオリジナルと全然違っていて醜悪な音楽になっていたが、聞いている方はあきらかに「エリーゼのために」を意識するだろう。
 「別れの曲を作るのに、あんな元気な何処までも行ってしまうような曲を参考にしたと考えることが、いかに無理なことか」などとものたまっておられるが、「キッスは目にして」の例を取り上げるまでもなく、「そのようなことは当たり前のように可能である」と断言できる。こういうことを平気の平左で公言する音楽家に「恥知らず!」と言ってやりたい。「バクったけど……それが何か?」くらいのことは言ってほしいものだよ。プロフェッショナルとしての矜持ははないのか。意図的にやったかどうか(たぶん意図的ではないのだろうが)は別にして、似ているのがわかった段階で放棄するのが筋ってもんである(言われるまで気が付かなかったとしたら、それこそ音楽家として大問題だ)。
 それからパクリの問題が出ると必ず本歌取りとかパロディとかいう言い訳が出るが、本歌取りと言えるのは明らかに原曲を意識させる要素がある場合で、しかも原曲が周知の場合に限られるはずだ(「キッスは目にして」なんかはこれですね)。またパロディと言えるのは、原曲の方が重い(評価が高い、有名などの)場合に限られる。上野茂都が「京葉水滸伝」という曲の中で「街の灯(あか)りがとても綺麗ね浦安」などとやっているのが好例だ。「京葉水滸伝」と「ブルーライト横浜」じゃあぜーんぜん知名度が違うもんね。
 今回の場合のように、(コマソンと放送番組のテーマ曲という)立場的にも同等な上、しかも原曲を暗示するような要素がまったくなく、さりげなく流用されているのだから、こんな言い訳成り立つわけがない。
 最高裁でも結審したものをこんなところで今さら蒸し返すのもどうかと思うが、毎朝、件の曲を聞かされているものでちょっとエキサイトしてしまった……。

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