自転車にのって「自転車にのって」を聴く


 


どこへ行くにも大体自転車で移動するが、ここ1カ月ほど、MP3プレイヤーで音楽を聴きながら自転車に乗っている。最近は、先日入手したiPod shuffleを使って、古い歌謡曲やフォークを聴いている。shuffleなだけにランダムな順序で再生されるんで、南沙織の「初恋」の次につボイノリオの「名古屋はええよ! やっとかめ」がかかったりして、こりゃ選曲を考え直さにゃ……などと考えたりもする。
そんで今日も自転車に乗って昔の歌を聴きながらノスタルジーに浸っていたのだな。そしたら、高田渡の「自転車にのって」(CD『ごあいさつ』に収録されているもの)が流れ、音楽と状況がシンクロしてなかなか良い感じだったわけだ。それでふと次のようなことを考えた。

この歌の冒頭に、明治末期の流行歌「ハイカラソング」が、蓄音機から出てくるような音(演歌師が歌っている。誰かはわからない)で流れ、その後「自転車にのって」のイントロが流れ、歌が始まる。

ハイカラソング
チリリンリンと出てくるは
自転車乗りの時間借り
曲乗りなんぞと生意気に
両の手離した洒落男
あっちへ行っちゃあぶないよ
こっちへ行っちゃあぶないよ
それ危ないと言ってる間に転がりおっこった
(神長瞭月作)

この歌は、当時のええかっこしいの大学生を揶揄した歌で、自転車がハイカラの象徴として使われている。
一方、高田渡の「自転車にのって」では、(自動車の対極に来る)貧乏くさい道具として、自転車が使われている。「原っぱまで野球の続きを」したり「隣の町までいやなお使いに」行ったりするため「ちょいとそこまで歩く」ための、のんびりした道具である。高田渡自体、生涯自動車の運転免許を持っていなかったので、彼ののんびりした生活を歌ったものなのだろうが、「ハイカラソング」と「自転車にのって」とがどうもしっくりしない。いったいどういう意味合いで高田渡はこの歌を冒頭に持ってきたのだろうかと考えてしまう。「自転車」つながりということなんだろうが、モノは同じでもその意味合いが違うんで、まったくの別物という感じがして違和感がある。ただ、何か深い意味があるのかもとも思わせる。もちろん、単にそのあたりの落差が面白いというのかも知れない。
この歌自体、(高田渡の他の多くの歌と違って)あまりメッセージ性が感じられないので、高田渡の歌の中でも少し異色な感じはする(もちろん高田渡の作品にはこのテの歌もあるのだが)。しかも高田渡の代表曲という扱いになることが多い。「なにかあらむ、なにかやうのあるにこそ」(絶対何かわけがあるに違いない:今昔物語より)と感じてはいるが、いまだにわからないままだ。

そういうことをあれこれ考えながら、「ちょいと図書館まで」走っていったのである。
ちなみに、「自転車にのって」には、冒頭の「ハイカラソング」の部分がカットされているバージョン(?)もある。また、先日などは、この歌が幼児向けの番組で歌われていた。思わず、ああ……時代だ……と感じた。

投稿日: 木曜日 - 9 月 15, 2005 04:20 午後          


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