思しきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心ちしける(大宅世継)

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「竹林軒出張所」選集:日常雑記

僕は、関ヶ原の戦いに参加したことがある。他にも桶狭間、三方ヶ原、小牧・長久手に参加し、長篠は少し曖昧だがたぶん出たんじゃないかと思う。さらに時代を下って、幕末の戊申戦争や西南戦争、神風連の乱にも参加している……

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拝郷メイコの「ソイトゲヨウ」という歌に「世界中の初めてを全部試そう」というフレーズがある。最近、この言葉がちょっと気になっていて、未経験のことはなるべく試してみようという気になっている。

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広大なインターネットの一角に、ある問題をかかえた一件のホームページがありました。竹林軒。
このページが抱える問題……それは……

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夏の終わりになって、アシナガバチが大挙して軒下に集まってきた。当初は大変興奮していたようで、そこらあたりをブンブン飛び回っていたが、数日経って落ち着き、軒下にいくつかのグループを作って集結している。

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以前、ハエトリグモとマウスカーソル遊びをやったことについてブログに書いたが、そのとき心残りだったのが証拠写真を残せなかったことで、このことがずっと心に引っかかっていたのだな。

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歳時記は別ページに集めました。

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「竹林軒出張所」選集

関ヶ原参戦の記



 僕は、関ヶ原の戦いに参加したことがある。他にも桶狭間、三方ヶ原、小牧・長久手に参加し、長篠は少し曖昧だがたぶん出たんじゃないかと思う。さらに時代を下って、幕末の戊申戦争や西南戦争、神風連の乱にも参加している。
 何をほざいているのだと思われるかも知れないが、つまりテレビ映画のロケの話で、エキストラとして出ていたというわけ。
 かつて京都に住んでいたとき、金欠のためバイトに明け暮れていたのだが、秋から冬にかけて東映京都で大々的にエキストラを募集していたことがあって、これに応募した。撮影が終わるまで拘束されるが(逆に早く終わったらその時点で解放→報酬減)大半が待ち時間で、しかもいざ仕事といっても走り回ってるだけなので、大変楽で割の良い仕事である。特に始めたばかりの頃は、目新しいことばかりで結構楽しい。当時、民間キー放送局が年末年始に長時間ドラマを始めた頃で、ほとんどのキー局がこういった類のドラマを放送していたんじゃないかと思う。そのうちの多くが東映京都で製作されていた。そのとき製作されていた二大大作が『田原坂』(日本テレビ系)と『徳川家康』(TBS系)で、この撮影が当時の東映京都でメインになっていたため、僕も関ヶ原や桶狭間に従軍(参加)することになったわけである。
 画面に映るようなエキストラはプロがやるので、われわれバイトは足軽として後ろの方をワーワー言いながら走り回っている。足軽だから、脚絆や股引、簡単な鎧を着けて笠をかぶるという出で立ちで、髷なんかは当然付けない。撮影中に笠が取れたら現代風の髪型が登場してぶちこわしになるので、それだけは気をつけなければならない。桶狭間では大雨が降っていた(人工的に降らせていた)ので疲労が蓄積して大変だったものだ(遠い目……)。
 参加したドラマをもう一度見てみたいとは思っていたんだが、どのレンタル店にもDVDが置かれていないようで半分あきらめていたところ、先日、近所のTSUTAYAで『田原坂』を発見した。というわけで『田原坂』のDVDを借りて見てみた。もちろん、ドラマ部分は飛ばしながら、合戦シーンのみに集中するのである。だから6時間くらいのドラマだが、40分くらいで見終わった。撮影中、本格的な鎧甲を着けて参戦(参加)したシーンが1つだけあって、神風連の乱なんだが、そこにしっかり僕が映っていた(ような気がする)。家人に教えても、はぁ?ってなもんで、まったく感動はないようだ。そういえば、実際の放送時にもビデオに撮って友人に見せたんだが、似たような反応だった。「これ俺!」などといっても、大笑いされて「絶対本人じゃなきゃわからない」と言われた。
 とは言っても久々にこの合戦シーンを見ると、いろいろな記憶が甦ってくる。なんだか懐かしくなった。

 『徳川家康』の方は、DVDが出ていないものとずっと思っていたんだが、こちらもTSUTAYAにあることが分かり、早速借りてきた。関ヶ原の戦いでは、間諜の役でちょっとだけ映っているシーンがある(これも絶対に本人しかわからないが)。そのシーンは是非見てみたい。
 こちらのDVDでも、例によってドラマ部分は飛ばし合戦シーンをスキャンしながら見た。このドラマでもいろいろなことが甦ってきて懐かしくなる。三方ヶ原の戦いは出たことすら憶えてなかったが、このDVDを見て思い出した。京都近郊の河原(宇治川だったと思うが)で撮影されており、主役の人達も来てたよなあなどと思いながらね。そうそう、こういうドラマにありがちだと思うがほとんどのシーンは、京都近郊で撮影されております。浜辺のシーンは琵琶湖で、川辺のシーンは宇治川で撮影します(場所もほぼ決まっているようだ)。城が出てくるシーンは彦根城ですね。『徳川家康』では、彦根城がいろいろな城として登場しています。しれっと「……城」というテロップまで付いている。どれも一緒だっつーの。
 こちらは、ドラマ部分が割に面白くて、合戦シーンのみを見るつもりだったにもかかわらず、下巻に至ってはほとんど見てしまった。女好きの家康(松方弘樹)という設定も面白い。豊臣秀吉を緒方拳が演っているのもなかなかである。緒方拳の豊臣秀吉は、NHK大河ドラマでも再三再四演じられていて「ザ定番」である。真田広之の石田三成も実務家として表現されており、これも「ザ定番」になるんじゃないかというようなデキである。ちなみに監督は降旗康男で、『駅 station』や『鉄道員』を撮った人である。
 そうそう、関ヶ原でした。間諜のシーンは申し訳程度に出演していた。「本人しかわからない」というより「本人にもわからない」というレベルであった。
 関ヶ原では、他にもいろいろな陣営の足軽として参加しているはずなんだが、どこの陣営で出ていたかほとんど憶えていない。というより、出ていたときからわからなかったのか……。この衣装を着けてくれと言われるままに走り回っているわけだから、関ヶ原マニアでなければわかるまい。ただ、石田三成の部下になったことはぼんやりと記憶している。関ヶ原の最後のシーンで、石田三成が劣勢を感じながら突進を命じるんだが(これがハイライトになっている)、そのシーンを見ながら思い出した。
そうだそうだ、この中に俺はいたんだ……俺も討ち死にしたんだ……
 なにやらあの世からの回想のようだが、そういった中でドラマは終了し、家康様が天下を取ったのだった。なかなか面白いドラマだった。正月にゴロゴロ見るドラマとしてはなかなか良いんじゃないかと思った。

2009年7月、記
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神風連の乱(1876年10月24日)







足軽の皆さん、走る



かくて関ヶ原の戦いの火蓋は切られた



足軽の皆さん、戦う



御大将の旗色が悪くなる

「竹林軒出張所」選集

初めての経験

 拝郷メイコの「ソイトゲヨウ」(アルバム『ソイトゲヨウ』に収録)という歌に
 「世界中の初めてを全部試そう」
というフレーズがある。最近、この言葉がちょっと気になっていて、未経験のことはなるべく試してみようという気になっている。
 ただ、いろいろ考えてみると、是非やってみたい未経験のことというのが意外に少ないことに気付く。やりたいことはおおむね試してみるという、わがままな生き方をしてきたせいかもしれない。むろん未経験のことというのは多いんだがね。僕なんか海外旅行すら行ったことないんだから、むしろ他人より未経験のものが多いかも知れない。要するにやりたいかどうかという問題である。
 とは言うもののも、やりたくてしようがないことではないにしても、チャンスがあれば未経験のことをやってみようとは思っているわけで、そういうのをいつも心がけるようにしている。
 で、昨日の話なんだが、初めて本物のシャンパンを飲んだという、ま、結局はこれだけの話なんだがね。
 古いヨーロッパ映画なんか見ると、ここぞという場面でシャンパンが出てきて、しかもとても美味しそうな風情を醸し出す。だけれども、シャンパンなんてものは高価だし、それに、シャンパンが出てくるようなパーティなんか出席する機会もないし(あっても出たくないし)で、今後もシャンパンには縁はないだろうなと思っていた。ところが昨日、縁あって……本当に縁あってなんだが、ロゼのシャンパンというのをいただいたのである。
 僕には、シャンパンに対してそういうものすごい期待があったので、必然的に「こんなものか」という、ある種のガッカリ感が出てくるのはやむを得ないところだ。実際、かなりガッカリしたんだが。
 まだ飲んだことのない人のために書けば、シャンパンは「炭酸入りのワイン」に過ぎないということになる(まさにスパークリング・ワイン)。これ以上でも以下でもない……というのが僕の感想である。ちなみに僕は、ワインの味はまったくわからない部類の人間に入る。だからワイン好きの人からすればこれはケシカラン感想なのかも知れない。ともかく僕はガッカリしたのだった。
 ついでに言うと、ジンというものも昨日生まれて初めて飲んだ、ロックで。こっちは臭いがきつすぎて耐えられなかった。今後飲むことは二度とあるまい。まさに一期一会という塩梅だ。
 というようなわけで「世界中の初めて」がまた新たに2つ消えたというお話でした。

2009年10月、記
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「竹林軒出張所」選集

大改造!! 劇的ビフォーアフターホームページ編)



(ナレーション:サザエ)
 広大なインターネットの一角に、ある問題をかかえた一件のホームページがありました。

竹林軒……。
 このページが抱える問題……それは……

物件
華がなく、動線がこんがらがったページ、しかもアクセスがない……

 竹林軒は、容量わずか20MBの小さなホームページ。
 このページの特殊な事情が、管理人を苦しめていました。
 地味でアクセスしにくい、更新がない……なんといってもやる気が感じられない。
 なんとか、安心してアクセスできるページにしたい。

 そんな切なる願いを受けて、一人の男が立ち上がりました。


リフォームの匠、N村角太郎。

 見栄えのするページづくりに徹底した哲学を貫く、ホームページは芸術だ、そう信じる彼を人は「ゆとりと空間の創造者」と呼びます。
 そんなN村が今回挑むのは、重度の機能不全に陥った竹林軒。匠は、この家を健康なページ環境に改善することができるのでしょうか。

♪デデデデデッデーン

現場検証
 「華がないですねえ……それに動線がこんがらがっていて、どこに何があるかわからない……ふう(ため息)」
 このようなページに、匠はいかなる処置を施すのでしょうか。

検証結果
 アクセスが少ないゆえの地味なスタイルに
 大変なページだという印象を受けた

リフォームプラン
 アクセス性の改善と更新がしやすい環境
 華のある快適な空間に

 ゆとりと空間の創造者、N村の挑戦が今、始まります。

♪チャカチャカチャーンチャ チャカチャカチャーン……


 華がなく、アクセスがない竹林軒。管理人も当初は更新の意欲があったものの、その地味さに引っ張られ、放置状態。楽しんで更新するにはほど遠い地味さ。ブログも更新しづらく、まったく手つかずのまま2年もの間、そのままでした。竹林も伸び邦題といったありさまです。
 老後のためにも安心して更新できるページにしたい。そんな管理人の悲痛な叫びを聞き、一人の男が立ち上がりました。
 リフォームの匠、N村。

ゆとりと空間の創造者が手を尽くしたそのリフォームの全貌をご覧いただきましょう。

チャーラチャーラチャーラチャーラチャーン……

地味でなんのページだかわかりにくかった、これまでの竹林軒。
 新装なった竹林軒では、落ち着いた「トップ」ページが、いつでもどのページでも簡単に移れるように……と配慮されました。リンクを十分整理し数多く設けることになりました。これまで風情などとはまったく無縁だった竹林軒の背景に寄り添うのは、竹林軒のイメージカラーの上品な緑。そして上に目をやると、そこには、
 なんということでしょう!
 目玉記事のリンクが、「竹林軒ダイジェスト」として、くるくる回っているではありませんか。ここで回っている画像をクリックすると、その記事に直接移動できるようになっているのです。
 どこに何があるか迷うことなく、安心して出入りできる「トップ」ページの向こう側には、想い出がいっぱい詰まった「アーカイブス」ページ。楽しく賑やかなかつての竹林軒の記事がすべてここに集められています。
 続く「アート」のページには、管理人さんの趣味の美術のためのスペースが設けられました。ここで、誰にいやがられることもなく、心おきなく作品を発表することができます。
 今まで更新が面倒で、そのために一切更新されることがなかった日記のページは、外部のエキサイト・ブログを利用することで、更新が簡単になりました。これからは毎日でも更新されることでしょう、きっと。

 こうして管理人さんが夢にまで見ていた、華のあるページが完成しました。
 華やかに生まれ変わったこのページを、管理人さんは喜んでくれるでしょうか。

 以下、喜びのシーン。

2009年6月、記
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「竹林軒出張所」選集

アシナガバチ考


   座して死を待つや 軒端(のきば)のアシナガバチ

 夏の終わりになって、アシナガバチが大挙して軒下に集まってきた。
 当初は大変興奮していたようで、そこらあたりをブンブン飛び回っていたが、数日経って落ち着き、軒下にいくつかのグループを作って集結している。その後もときどき飛び回っていたが、やがて飛ぶハチも少なくなり、今はほぼ日がな一日、その場所にじっとしている。この軒下は、毎年のようにアシナガバチが巣を作るところで、今も2年前に作られた巣が残っている。アシナガバチの巣は1年しか使われないので、現状「空き巣」になっていたんだが、この周辺に新しいアシナガバチ軍団が終結し、実際この空き巣にも相当数のアシナガバチが取り付いている。
 通常、アシナガバチは、この季節、自分の巣を一生懸命守り、次世代の女王バチを育てる。育った女王バチは草葉の陰などで冬を越し、翌春に巣作りをしてまた営巣するんだが、その女王バチ以外のハタラキバチは冬を前に全部死んでしまうらしい。全員でなんとか次世代の女王バチにたすきをつなぐというイメージで、こうやってなんとかDNAを残そうとする。ところが夏や秋にスズメバチなんかに襲われてしまって、巣を破壊され、次世代の幼虫が捕らえられてしまったら、たすきを渡す相手がいなくなってしまうので、かれらにとってこういった事故は死活問題になるわけだ。
 今回、我が家に大挙して押し寄せてきたアシナガバチだが、どうやら巣を失ってしまったハチたちではないかと思うのだ。本来であれば、この時期、ハタラキバチたちはあちこちで餌を集めたりして幼虫の世話で慌ただしいはずだが、その目的すらもすでに失い、根無し草となって、何もすることなくただ座して死を待つ状態にあるんじゃないかと勝手に推測しているのだ。
 一般的に大挙してアシナガバチが家に押し寄せてきたら人間の側もパニックになったりして、殺虫剤で攻撃したりするが、こうなるとアシナガバチにとっては踏んだり蹴ったりである。アシナガバチはあまり攻撃的ではないと言われるし、今は、かれらが死を受け入れる瞬間までこのまま放置しておこうと思っているのだ。とは言え、以前、ウチの子どもがアシナガバチに突然刺されたこともあるので注意は怠らないようにしなければならない。おそらくそのときは、スズメバチに襲われたかなんかで気が立っていたんじゃないかと思う。今来ているやつは、どのハチもおとなしいもので、なんだか気の毒にさえ思えるほどだ。しかもすでに空き巣になった巣に取り付いているなんて、「思い出の中だけに生きて抜け殻のようになっている人間の図」さえ思い起こさせる。虫とは言え、人ごととは思えないのだな。

2011年9月、記
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「竹林軒出張所」選集

ハエトリグモとカーソル遊び……未遂


注意:虫嫌いの方、蜘蛛嫌いの方はご遠慮くださいますよう。

参考:『渇水や われ泣きぬれて(はいないが)クモとたわむる』
(これを読まないと、今回の話、何のことだかわからないと思います)

 以前、ハエトリグモとマウスカーソル遊びをやったことについてブログに書いたが、そのとき心残りだったのが証拠写真を残せなかったことで、このことがずっと心に引っかかっていたのだな。
 ところがつい先日、ハエトリがパソコンの画面上に再来したんである。もちろん6年前とは違うハエトリだが、これはチャンスとばかりにハエトリの元にカーソルを走らせた。マウスカーソル遊びの再現である!
 だが今回のハエトリは、前のやつと違ってちょっと醒めていて、カーソルに飛びつくということがまったくない。多少は関心を示すが、結局そっぽを向いて画面の外に出て行ってしまった。今回は写真と映像を残そうと準備していたんだが、残念ながら映像はイマイチのもので、「無関心で画面の外に出て行く」図になってしまった。写真はとりあえずそれらしいものになったが、実際のところカーソル遊びはほとんどできていない。そのため、以前書いた文章にこの写真を添えると、ヤラセに近い感覚になる。
 今回あまりハエトリが(文字通り)食いつかなかった理由は、おそらくハエトリとカーソルの大きさの関係があったんではないかと思う。小さめのハエトリに比してカーソルは大きめである(写真参照)。これではそもそも餌として成立しないではないか。今回のことを反省材料として、また次の撮影機会を待とうと思う(というのは冗談で、たぶんもうやらないと思います)。

写真は「カーソルに迫るハエトリの図」

2011年9月、記
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