思しきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心ちしける(大宅世継)

批評、随筆、芸術のアーカイブ・サイト……竹林軒

圧倒的な迫力、アフガン版ネオリアリズモ

アフガン零年:OSAMA(2003、アフガニスタン、日本)

監督:セディク・バルマク、脚本:セディク・バルマク、撮影:エブライム・ガフォリ
出演:マリナ・ゴルバハーリ、モハマド・アリフ・ヘラーティ、ゾベイダ・サハール、ハミダ・レファー

 こんな現実が存在すること自体が驚きだ。
 そして、こんな完成度の高い映画が、今のアフガニスタンで作られたということも驚きである(ロケも大変だったらしい)。
 芸術作品には、「作ったもの」と「できたもの」の2種類があるという。「できたもの」というのは、内的な慟哭や環境要因などで必然的に作らざるを得なかった作品だ。こういう作品には、作るという作業に必然性があるため、圧倒的な迫力を持ち受け手に迫ってくる。そのため「作ったもの」は「できたもの」に到底かなうことはない。
 この映画は「できたもの」の範疇に入りそうだ。そこいらの映画を吹き飛ばす力がある。この映画を前にすると、ほとんどの映画はゴミのようにさえ見える。絶望的な現実を世界に伝えることこそ、映画の大きな役割であると再認識させられる。
 舞台は、タリバン圧制下のアフガニスタン。そこは理不尽がまかり通っている。
 この映画を見ると、タリバンの問題は、宗教的で独裁的であることではなく、強者(為政者)が弱者(一般民衆)を犠牲にするような構造ができていることだと納得させられる。このようなしくみを作らない政治が良いのであって必ずしも政体が問題になるのではない(たとえ独裁政治であっても民衆が平和を享受できることもあるし、民主主義を名乗っていても民衆を不幸にするシステムもある)ということを改めて認識させられる。
 この映画で示されているのは目を背けたくなる現実だが、これを直視しなければならないのも事実だ。

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ファストフード・イコール・ファットフード、映画版『デブの帝国』

スーパーサイズ・ミー(2004、米)

監督:モーガン・スパーロック、撮影:スコット・アンブロジー
出演:モーガン・スパーロック

 1ヶ月間、毎食ファスト・フード(マクドナルドのもの)を食べ続けるとどうなるかという人体実験を、みずからの体を使って行う、モーガン・スパーロックのドキュメンタリー。
 大食い競争のようなおちゃらけた映画かと思いきや、アメリカの肥満問題に鋭く切り込んだ意欲的な作品だった。
 数年前、自分の肥満の原因は、体に悪い(肥満の原因になる)ものを販売し続けたマクドナルドにあるとして、アメリカのある女子学生が同社を提訴した。この訴訟で、裁判所は、肥満とファスト・フードとの因果関係の証明を原告に求める判決を出した。この人体実験映画の動機も、そこらへんにあるらしい。このような人体実験を行えば、裁判の証拠として提出することだってできるというものだ(実際はしていない。この映画が完成する前に結審したため)。そういう意味では、動機だって純粋だ。
 マイケル・ムーアのドキュメンタリーとも共通するが、リズム感が良く切れ味も鋭いため、まったく飽きることがない。人体実験ドキュメントを大きな柱にして、その間に肥満問題を追求するドキュメントを挿入していく手法にはまったく舌を巻く。すばらしい。
 肥満問題については、ノンフィクション『デブの帝国』で扱われているものと多くの部分でオーバーラップする。同書を読んでいればさらに楽しめるはず(アメリカの肥満問題についての知識がないと、展開のスピードについていけないかも知れない)。

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