世界を変えた56日間の戦い 〜ボー・グエン・ザップ
93歳の証言〜 ★★★☆
世界を変えた56日間の戦い 〜ボー・グエン・ザップ
93歳の証言〜
NHK BS1
BSドキュメンタリー
★★★☆
ベトナム戦争初期のディエンビエンフーの戦いの経過を、当時ベトナム軍の司令官だったボー・グエン・ザップの回想を中心に回顧する。
ディエンビエンフーの戦いについては、沢田教一の写真などで知っていたが、具体的なことは何一つ知らず、その点で非常に勉強になった。
内容:1954年初頭、フランスは、ベトナム民主共和国のラオスルートの要衝、ディエンビエンフーに要塞を築き、兵站用のラオスルートを遮断しようとする。これに対してベトナム軍は、ディエンビエンフーの奪還をもくろむ。このとき奪還作戦の司令官に就任したのが、当時43歳のボー・グエン・ザップ。早期攻撃を主張する周囲を抑え、ザップは周到な準備を済ませてから作戦を開始することを主張する。
結局ザップの作戦に従って、20門以上の105mm砲を国内から人海戦術でかき集め、ディエンビエンフー北部の山頂付近に隠すことに成功する。ベトナム軍の攻撃を予測していたフランス軍は、いつまでたっても攻撃が始まらないため、業を煮やしてベトナム軍を挑発するビラまで撒いたらしい。
3月になって準備が終わると、ベトナム軍の一斉攻撃が始まる。ディエンビエンフーの要塞は、数多くの要塞で構成されており、ベトナム軍は北部の要塞から1つずつ攻略していく。攻撃は、山腹に隠した大砲と人海戦術だ。攻略が特に難しかったA1要塞に至っては、敵軍の要塞の地下までトンネルを掘り、爆弾で要塞ごと吹き飛ばすということまでやっている。結局この作戦で雌雄が決まった。A1要塞の陥落によって、ベトナム軍は、フランス軍司令部に迫ることになり、ついに戦闘は集結することになる。
とにかく、ベトナム軍の人海戦術は驚くばかりだ。戦闘が続いているときにひたすら塹壕を掘り続ける。補給路が空爆されたらすぐに道を作り直す。大砲は人力で山頂まで引っ張り上げる。これぞゲリラ戦の見本。そしてその作戦の一部は、日本軍(日中戦争)や米軍(朝鮮戦争)と闘った中国共産党から引き継いだものだということも明かされている。
結局この戦いが、フランスのベトナムからの撤退に直接結びつくことになる。欧米植民地主義のアジアからの最初の撤退となった。
投稿日: 木曜日 - 7 月 22, 2004 10:16 午前