古典的落語家についてのよもやま話←初代快楽亭ブラック(奇人発見伝より拝借)
『快楽亭ブラック 忘れられたニッポン最高の外人タレント』という本が近所の図書館に置かれており、前々から気になっていたのだが、このたび借りてきてようやく読み終わった。「映像・本日記」のところでも書いたが、初代快楽亭ブラックの実声は、『全集・日本吹込み事始』および『日本吹込み事始』(ダイジェスト版)というCDで聴くことができる(先日、図書館で借りました。現在絶版だそうで……)。このCDシリーズは、ガイズバーグというグラモフォンの技師が、20世紀初頭に世界中でさまざまな音源を収集した、世界最初期の録音をCDに復刻したものだ。エンリコ・カルーソーのオペラ・アリア集がBMGから出ているが、これも最初期のものはガイズバーグが録音したものだそうだ。
『全集・日本吹込み事始』には、三代目柳家小さんや四代目橘家圓喬の落語も入っている。三代目柳家小さんといえば、内田百間の随筆に良く出てくる噺家で、やたら「小さんを聴きに行った」などの文章が出てきて、私などは「五代目小さん」をイメージしていたが、実際に聞いてみると五代目とはまったく違って、立て板に水でまったくよどみなくなかなかの名調子である。内田百間が気に入るのもうなずけるというものだ。一方、四代目橘家圓喬は、五代目古今亭志ん生の師匠筋に当たる人で、たしかに志ん生の話しぶりを彷彿とさせるところがある(志ん生が圓喬を彷彿とさせるというのが正しいのでしょうが)。 この録音に残されている芸人は(少なくとも噺家については)なかなかそうそうたるメンバーで、前著『快楽亭ブラック』によると、なんでも快楽亭ブラックが自分のコネを駆使して録音現場に呼んできたらしい。ブラックが、当代最高の芸人と考えた人々を集めたということだ(ギャラはかなりピンハネしたらしい)。 ガイズバーグの録音で唯一残念なのは名人・三遊亭円朝の録音がないことだ。録音が行われた1902年には、円朝はすでに死んでいたので致し方ないのだが、もう数年だけ前後すれば録音が残っていた可能性があることを思うと返す返すも残念。三遊亭円朝といえば、もはや歴史上の人物で高校の日本史の教科書にも載っているほどだが、英国の小説などを翻案して寄席にかけていた快楽亭ブラックが、同様に西洋文学を翻案していた円朝と人気を二分していた(前著による)というのもなかなか興味深い。 話は変わるが、先日、やはり図書館で借りた『小沢昭一が選んだ恋し懐かしはやり唄 二』に「猫じゃ猫じゃ」が入っていて、初めて聴いた。記憶は曖昧なのだが、夏目漱石の『吾輩は猫である』の中で、子どもが「猫じゃ猫じゃ」を歌う場面が出てきて(と思う)それがずっと頭にこびりついていたのだが、それを初めて歌として聴いたわけだ。こういう古い歌をCDで聴けるというのもずいぶん贅沢な話だが、あまり借りる人もいないようで、CDの録音面は非常にきれいであった。図書館のCDと言えば大体傷だらけなのだが、こういうものの価値はよっぽどのマニアでないとわからないのだろう(私はマニアではありません)。 快楽亭ブラックといえば、現在二代目を名乗る人がいるらしく「へえ」と思っていたが、よくよく調べてみると、映画マニアで有名だった(元)「立川談とん」であることがわかった。一風変わった映画評論をする人で、ポルノ映画などについても評論していた(今もやっているようです)が、私から見ると「ちょっとピンぼけ」な感じがする(映画評などというのは評者と趣味が合うかどうかだから……)。(私の記憶が確かならば)名前も始終変えていたという印象があり、たとえば立川レフチェンコなどとふざけた名前もつけていた。ちなみにレフチェンコとは、ミグ戦闘機で日本のどこぞの空港に飛来してきた(その後アメリカに亡命した)ソ連人である。その後立川談志に破門されたという話を聞いたが、真偽のほどはさだかでない。だがその後も健在で、やがて真打ちに昇進して、二代目快楽亭ブラックを襲名したんだそうだ。なにやら懐かしかったんで、快楽亭ブラックつながりでここで紹介してみた。 投稿日: 木曜日 - 2 月 17, 2005 10:16 午後 |