月曜日 - 12 月 25, 2006iBookを修理した話 その2ハード・ディスクが壊れていることがわかったので、ひとつ自力で交換してみるかということで、ネットで2.5インチのハード・ディスクを探す。
東芝製の30GBのバルクが5千円ちょっとで売られていたのでこれを買うことに。しかしまあ、2.5インチの30GBのハード・ディスクがたったの5千円というのも、昔(と言っても10〜15年前)のことを考えると隔世の感があるよなあ。 ハード・ディスクは注文してから4日後に届いた。 いよいよ、ハード・ディスク交換である。iBookの場合、ハード・ディスクを交換しようとすると、はらわたをほとんど取り出さなければならないという話なのであまり気乗りはしないが、ハード・ディスクを交換しなけりゃiBook自体がゴミになるんだからね。ゴミにするよりは良かろう。 でも前にiBook (DualUSB)(白くて四角いヤツです)のハード・ディスクを交換したときは大変だった。二度とやりたくないと思ったものだが、またやる羽目になるとはね(機種は若干違うが)。こういうことを考えながらオペに取りかかったのであった。 ASCIIから出ている『Macintosh改造道2001』という古いムック本が参考書である。この本ではネジの位置まで写真付きで細かく書かれている。マックを解体するときの必需品である。ともかくこの本を参考にしながら、iBookを解体した。 ネジは全部で約30個出てきた。これは大きく3種類に分けられる(つまり3種類のドライバーが必要)。内部は非常に複雑な構造になっていた。だが、基本はロジック・ボードにスピーカー、キーボード、モニターが付いているだけで、ある意味実に単純である。そうそう、ハード・ディスク替えるのにディスプレイまで外さなければらなかったんですよお、皆さん。信じられます?(もっと簡単な構造にしとけよ>アップル!) 結局解体するのに1時間半近くかかって、交換、再生に1時間、計2時間半かかることになった。 組み上げてからシステムをインストールしたところ、無事に動作を始めた。システム関連のファイルも無事にコピーできた。で、ここでよくよく考えてみたんだが、何もPowerBook 2400からコピーしなくても、100Base-T端子が付いている他のマックからデータをコピーすれば良かったんだということにあらためて気付いた。そんなわけで、今度は四角いiBook (DualUSB)からコピーしました。さすがに前よりずっと速かった。人間というのは、こうして失敗を積み重ねて、新しい教訓を得るものなんだね、ウンウン……などと考えながら無事にiBookは復活することになったのだった。メデタシメデタシ。 日曜日 - 12 月 24, 2006iBookを修理した話 その1iBookのブルーベリーとかいう、ちょっと気恥ずかしいパソコンをいただいた。
元々は、パソコンをおぼえたいという知人のIさんに私が勧めてそのIさんが買ったものだが、結局「私にゃ使えん」ということでこちらに回ってきた。当初からこういう気恥ずかしいパソコンは好きではなかったが、当時ノート型のマックで普通に買えるものが他になかった(パワーブックは値段が高かった)ので、これを勧めたんである。 私の妻もこの機種を使っていたが、今にして思えばトラブルの多いパソコンだった。まずACアダプタがよく壊れた。最初のACアダプタは、奇をてらった形をしていてあまり好きになれなかったが、形より何より、コンセントを破壊するというとんでもない問題があった。このトラブルは一般にはあまり聞かなかったが、ともかくウチのコンセントは破壊された。またiBookを使っていた知人のN氏もコンセントが破壊されたと言っていたので、たぶんこれが原因だろう。その後買ったACアダプタも2台おじゃんになった。N氏も同じようなことを言っていたので、電源まわりは何か問題があったんだろう。その後妻のiBookは、保証期間が過ぎた頃から音が出なくなったし、キー・キャップが外れた。保証期間後に壊れるとはなかなかうまくしてあるものだ。フリーズもアップルらしく多発した。図体もやたらでかいし。大体色が下品で気に食わない。エレガンスも何もあったもんじゃない。 ともかく、「私にゃ使えん」パソコンが私の元に来たんである(Iさん、変なパソコン勧めてごめんなさい)。で、スイッチを入れてみるとちゃんと起動するにはしたが、なんとかのファイルがないのでシステムを再インストールしなけりゃならんというメッセージが出た。それじゃあということでシステムをインストールし直してみると、ともかく普通に動くようになった。これを機会に、PowerBook 2400からiBookにデータを移して、PowerBook 2400の代わりにこちらを使おうということで、PowerBook 2400上にあるいろいろなファイルをイーサネット経由でコピーしたわけだ。PowerBook 2400は今となってはいろいろ制約の多いパソコンで、データの移行すら簡単にできないというシロモノである。ネットワーク・カードをPCカード・スロットに差し込んではじめてデータを移せるようになる。しかも手元にあるPCカードは、10Base-Tという遅い転送速度のものだけである。そんなわけで、ゆっくりまったりと昼下がりの時間を費やしてコピーしていた。その間も途中で転送が止まったり、確かに妙な徴候はあったわけだ、今考えると。 で、夕方近くになって、ほとんどのデータがコピーできたかなと思った頃、あの妙な音が鳴り出したのである。そう、電車が快調に走るようなリズミカルな音が。コットン、コットン、コットン、コットン、コットン、コットン……シーン……コットン、コットン、コットン、コットン、コットン、コットン……シーン……。 ハード・ディスクが逝っちゃっている音だ。というわけで半日間かかりっきりだった作業が徒労に終わることになったのだった。 博多弁で言うところの「がっぱし」という状態になってしまったわけだ。 つづく。 水曜日 - 12 月 20, 2006純粋な、批評の批判(写真と本文は関係ありません。)
昔、黒澤明の映画が好きだという人と話す機会があって、そのときに相当険悪なムードになったことがある。というのは、彼がクロサワ作品をことごとくベタボメする(『夢』とか『素晴らしき日曜日』までだぞ)んで、こちらもガマンできなくなって、多くのクロサワ映画は感性が欠如していてクサくて見るに堪えないということを言ってやったわけだ。もちろんすべてけなしたわけではないよ。『七人の侍』とか『椿三十郎』あたりは私も高く評価しているので、それはきちんと表明したのだが、彼にとっては黒澤明は神でその作品はすべてが最高らしく、ちょっとでも批判されることが我慢できないようなのだった。そのときは、他にも人がいたため殴り合いになるようなことはなかったが、その後彼は、別の黒澤好きな人とばかり話をするようになって、私の存在を完全に無視するようになったのだな。ハハハ。
だが言っておくが、A氏よ!(仮にA氏としておきましょう、この人を) どんな芸術家でも、すべての作品が素晴らしいということはないのだよ。私は美術も好きでいろいろな展覧会にも行ったりしたが、モネやルノワールの駄作もたくさん見てきた。ベートーヴェンにだって駄作はある。それは見る(または聴く)側が自分の目で見、耳で聞いて自分の頭で考えれば、誰にでもわかることだ。映画でもそうだ。私は小津安二郎の映画が好きだが、それでも素晴らしいと言えるのはやはりほんの一握りである。半分以上は駄作だ。だが傑作が数本でもあれば、それだけで素晴らしい作家と言えるんじゃないか。「千に一つの名品のことを佳作と呼び、万に一つの名品のことを傑作と呼ぶ」というような話をかつて現代国語の先生から聞いたことがある(正確かどうかわからない)が、数十本のフィルモグラフィの中で、万に一つの名品が2本あればそれだけですごいことだと思う。 たぶんA氏は、いまだにクロサワ大好きなのであろうが(もう20年以上も会っていないのでね)、自分の頭で考えないといつまで経っても進歩しないよ、とこの場を借りて言っておこう。 本やCDをネットで販売している「アマゾン」にカスタマーレビューというコーナーがあって、いろいろなシロートが批評を書いている。以前はなかなか鋭い評が多いなと思っていたのだが、実際にそのCDや本を聴いたり読んだりしてみると、内容がまったくピントはずれということが結構多いことに最近気が付いてきた。 実は私もカスタマーレビューに何度か書いたことがあるため、同様の批判は受ける可能性が十分にあるわけで、あまり大きなことは言えないのだが、でも少なくとも自分の目や耳で見たり聴いたりして、自分の頭で考えたことを書くというのは最低限のマナーじゃないかなと思う(現に私はそうしてるし)。このカスタマーレビューを読む側は当然、そのCDや本を聞いたり読んだりした人が書いていると思っているだろう(少なくとも私はそうだった)。ところが実際は、まったくいい加減な聞きかじり評や予想だけで書いた期待評が多いようだ。そもそもまだ販売される前のCDにレビューが付くというのがおかしい。「期待で☆5つ」などと書かれていると「君の期待をここで表明して何になる?」とつっこみをいれたくなる。それは「レビュー」ではなく「プレビュー」ではないかい? 先ほどのクロサワの例みたいに、自分の頭で考えていないものも結構ある。批評家がよそで言っているようなステレオタイプな内容を、何のてらいもなくぬけぬけと書くなんてのは恥ずかしいことだ。そういう批評は、たとえうまく書けていたとしても、正しい評価ができていない。知性は十分でも感性が足りないということだ。批評というのは感性を表明する場だとここで宣言することで、これを自戒としたいと思う。 水曜日 - 12 月 13, 2006インテルマックを買った話いやあ、皆様、ご無沙汰しております。
忙しさにかまけて更新を怠っていました。この間も、いろいろなことがありました。それについては追い追い書いていくことにしまして、今回は新しいマックを買ったという話です。 今までOS9が動くiBook G3で仕事をしていましたが、なにぶん、10時間以上連続稼働すると(つまり仕事が忙しくなると)ほぼ100%フリーズして、思考の中断を余儀なくされる、そしてストレスも加えられるというあんばいで、なんとかOS Xに移行できないか、そのタイミングをずいぶん長いこと図っていたのです。iBookでは、仕事以外の用途はOS Xを使ってやっていたので、仕事さえ移行できれば完全にOS Xに移行できるということになっていました。そうしたあかつきには、新しいMacを買おうと思っていたのです。なんせG3でOS Xを動かすと、レスポンスがあまりに遅いので、仕事で使う分には、また逆に大変なストレスを抱え込みそうです。だがどうしても、仕事で使っているYooEditというテキスト・エディタを手放せない、これに変わるテキスト・エディタがOS Xにないという、その辺がネックになっていました。 ところが、そんな折、OS 9では対応できない仕事(ファイル名の関係)が入ってきて、しようがないのでOS X環境でこの仕事をしたわけです。YooEditはないので、JEdit Xというエディタを使いましたが、やはり使い勝手が少し違い、相当苦労しました。それでも使っていると徐々に馴染んできて、ソフトのクセなどもわかってくるので、結局このエディタで仕事をやり終え(質は少し落ちたかも知れないという危惧はある)「いけるね、移行。行こう、移行」ってことになりました。 で、マックブック(MacBook)という「インテル入ってる」ノート・パソコンを買いました。 実は最初にMacBookを発注した後、新しいMacBook(CPUやメモリ、HD容量がグレードアップしたもの)が発表されたため、すぐにキャンセルしてから発注し直すというまさにギリギリの綱渡りがあったわけですが、なんとか新しいMacBookが手に入りました。メモリも2GB入れたため、なかなか快適です。 ついでにと言っては何ですが、携帯電話も買って、どこからでもネット接続できるようにしました。これでどこに移動しても仕事ができるモバイル環境が整いました。MacBookには全体的にあまり不満はないのですが、今まで使っていた一部のソフトがインテルマックに対応していないため、一部の作業ができなくなってしまいました。ホーム・ページ作成に使っていたソフトも使えなくなったため、ホーム・ページも更新できません(使えてても更新してなかったけど)。体の良い理由ができたとも言えます。 先日、MacBookに付いているiWebというホーム・ページ作成ソフトを使ってみましたが、なかなか簡単でよろしい。もしかしたらこれを使ってホーム・ページを作り直すかも知れません。 不満は多くはないのですが、一部のキーが反応しにくいという点が不満といえば不満です。そのため入力時に文字落ちがあり、入力間違いが以前より多くなったような気もします。MacBookにはいろいろおもしろいソフトや機能もあるのですが、それについてはまた折を見て書いていこうかなと思っております。 では、皆様、よいお年をお迎えください。(って、今年はもう更新しないのかよ) 木曜日 - 4 月 13, 2006アテンションプリーズ現在、フジテレビ系のCSチャンネル(フジテレビ721)で、1970年に放送されたドラマ「アテンションプリーズ」が放送されている。最初「アテンションプリーズ」がフジテレビ721で放送されると聞いたとき、「TBS製作だとばかり思っていたがフジだったのかしらん?」と思ったが、やはり製作はTBSだった。なんでも近いうちにフジテレビ系列でこの番組をリメイクする(上戸彩主演)とかで、そのキャンペーンとして再放送が始まったようだ。といっても2週間で全部一挙に放送するというやり方(全部で30話以上ある)で、なんとなくやっつけ仕事みたいな印象はぬぐえない。もう一つ、このドラマは大映製作のいわゆる「大映ドラマ」だと思っていたのだが、それは誤りで、東宝製作のドラマであった。「スチュワーデス物語」が大映なんで、それでこういう思い込みがあったのだろう。
このドラマは、私の幼少時代に放送されていたもので、ストーリー自体はあまり記憶にないのだが(実際、派手なストーリーはない)、いろいろなエピソードが印象に残っている。たとえばスチュワーデスが機内で食べ物を提供するときに、片手にフォークとスプーンを持ってそれで食べ物をはさんで皿に盛るというシーンがあった。主人公の見習いスチュワーデスがこれをなかなかできずへまをやらかすというシーンだが、これはいまだに頭の中に残っている。また、「雲海」、「パーサー」、「ネットイン(卓球用語)」などと言う言葉はこのドラマで憶えたのだ。 そんなわけで懐かしさもあってちょっと見てみようと思い、ビデオに撮って見たのだが、これが意外に面白い。あまりに面白くてやめられない。ついに第20話まで来てしまった。残念ながら第1回目と第2回目は見逃してしまったが(「雲海」や「ネットイン」のエピソードが出るはずなのだが残念)。 懐かしテレビ番組を今見ると、特にアニメなど、ガッカリすることも結構ある。子供の頃の印象と全然違うというのはまあ致し方ないところだ。だがこのドラマは、細部の造りが良くできていて、ネガティブな印象はない。主人公(紀比呂子)が、田舎者のお人好しでクラスのどん尻を行く劣等生でありながら、同時にムードメーカーで周囲から信頼されているという役どころで、このあたりもなかなか秀逸な設定である。「サインはV」とか「美しきチャレンジャー」とかの同時期のスポ根ものと同じような印象があった(当時の放送枠が同じ)が、設定は大分違う。紀比呂子がまたこの「田舎者のお人好し」を好演している。他のスポ根ものと同様、例によってライバルが登場するが、このドラマではかれらと対決するのではなくいかに和解していくかが一つのテーマになっている。「こういう人間関係ってあるよな」と思わせるものがあり、なかなかにリアルである。 スチュワーデス訓練所が舞台だけに、主人公を通してスチュワーデスの仕事や航空業の内容を学習できるようになっており、そういう新鮮な面白味もある。このドラマ以降、スチュワーデスの人気が急上昇したというのも十分うなずける話だ。 少女漫画でも同時期連載していたようで、原作者が脚本も書いているところを見るとドラマと漫画のどちらが先かちょっと判断できないが、少女漫画を意識したような過剰な演出もあってそういう部分では少し引いてしまう。だがトータルで見ると、登場人物のリアリティや視聴者を引っ張り続けるダイナミズム、目新しさなど、優れたドラマの要素がことごとく入っている。 80年代に放送された「スチュワーデス物語」(原作:深田祐介)も多分にこのドラマを意識して作られたんだろうが、比べるべくもない。「スチュワーデス物語」も相当話題にはなったが、それは「笑われる」ドラマとしてである。「笑わせる」ならともかく「笑われる」ドラマを作っているようじゃ、製作者側としては自分の仕事をおとしめる以外のなにものでもない。 「アテンションプリーズ」の中で、主人公が水商売の女性から「あなたの仕事も私の仕事と変わらない、ただ配膳したりするだけだろう、なぜそんなにお高くとまっているのか?」と迫られて、「私たちには仕事に対するプライドがある、厳しい訓練に耐えてこの仕事に就いているという誇りがある」と答えていた。こういう気概で仕事に取り組みたいものである。 追記1:書いた後に知ったのですが、DVDも出ているようです。ぜひレンタルでどうぞ。 追記2:ちょっと調べたところ、フジテレビで4月18日から放送されるドラマも、中心的な役名(美咲洋子など)は一緒である。もしかして同じストーリーでやるのか? なんとなく時代にそぐわないような気が……。 追記3:ザ・バーズ(!)が歌うテーマ曲(作詞:岩谷時子)の歌詞「揺れ動く愛の雲間を 一筋に続く私のエアルート、エアルート」をあらためて今聞くと、うまいねぇ、どうもと感心してしまった。ちなみに「アテンションプリーズ」の主題曲(「アテンションプリーズ」)および挿入歌(「恋かしら、なぜかしら」、「俺は飛ぶ」)は、『懐かしの青春ドラマ主題歌集 2』で聴くことができる。アマゾンでは「絶版」表記になっているが、レンタルショップや図書館であれば置いているかも知れない……。 |