ああ捨てられない捨てられない、今の世の中捨てられない
引越しもいよいよ大詰めにさしかかってきた。で、モノの整理をしていると、当然のことながら、ゴミが山のように出てくる。これについては、3月5日のブログでも書いたところだ。どう考えてもモノを持ちすぎだ、私は(それでも日本人の平均より少ないかも知れない)。
ゴミを処分してモノを持たない生活に移行しようというわけで、大量処分に踏み切ることにした。ところが、いざ捨てようとすると、簡単に捨てられないのだ。現在私が住んでいる地では、ゴミは、燃えるゴミ(週2回)、燃えない埋め立てゴミ(月1回!)、分別ゴミ(月1回)、粗大ゴミ(随時市に依頼して料金を払い持って行ってもらう)というふうに分類されており、それに従ってゴミを出さないと持っていってもらえないこともある。もちろん、ゴミに対して課金されるというシステムについては、原則的に賛成である。これだけモノがあふれてゴミが増える社会では、それを抑制する方法が必要で、行政がそれに踏み切るのはよくわかるのだが、それにしても、あまりに不便ではないですか?! 不便にすることがゴミを減らすことにつながるわけではないと思うが。
何かを捨てようとすると、それが燃えるゴミに入るのか燃えないゴミになるのか、はたまた粗大ゴミになるのか、よくわからないことが結構多い。一応市からパンフレットのようなものが配られているが、それでもわからないことがある。たとえば上の写真のミニマックスはどれに入るのか?
ミニマックス、ご存じですか? こんなものを買ったということ自体かなり恥ずかしいことだが、今日ここでカミングアウトする。仕事が忙しく運動不足だった頃、この手の健康器具をよく買ってしまったのだ。すべて通販で売られており「使用後返品可能」なので安心して購入に踏み切れるというわけだ。で、買ってみて、安物買いであったことに気が付くのだが、その効果についてはにわかに判断しがたい。しばらく使ってみるのだが、退屈な運動なのですぐに飽きてしまう。それで、結局返品せずにそのままということになる。返品したところで送料がかかるので、金額的には割に合わない。価格設定が絶妙なのだ。それならとりあえず置いといて試してみるか、というパターンだ(効果はかなり疑わしいと思う)。
これが幅50cmくらいあるので、燃えないゴミに出すのはちょっとどうかなと思う。それで、市に電話して粗大ゴミとして収集してもらうことになった。しかし電話でこれがどういうものか説明するので、実際より重くて複雑なものというふうに解釈されたらしく(電話は妻がしたのだ)、この手のゴミとしては非常に高価な500円という料金がつけられた。料金について文句をいうんじゃない。別のものと間違われて通常より高い料金を払うというのが不満なのだ。
いずれにしろ、電話のやりとりで誤解が生じやすく適正な料金が割り当てられないというのは、システム自体に問題があるんじゃないかと考えざるを得ない。おそらく現在のような分別や課金によるゴミ収集という制度は、環境先進国のドイツ発なんだろうが、前に見たテレビでは、ドイツでは捨てたいときにいつでもゴミを捨てることができるという話だった(もちろんかなり細かい分別が義務づけられていたり、料金の支払いが必要だったりする)。市民の利便性が確保されているのだ。システムとしてはそうあるべきじゃないかと思う。
何度もいうが、ゴミを出しにくくしてもゴミを減らすことはできない。不法投棄が増えるだけだと思う。ゴミを本当に減らすには、リユース、リサイクルできないものには環境税をかけるとか、まず第一に入力部分(買う段階)に歯止めをかけなければならない。
当地の現在のようなシステムは、利用者の利便性に配慮していないのだ。ある意味、行政の怠慢だ。「ゴミを出すことは悪いことだ」という題目を市民に押しつけ、そこにあぐらをかいている。
このようなことを、ミニマックスを前にして考えている昨今。ああ、ミニマックス、ミニマックス。
引越しブログ予告:床下から猫の白骨死体
投稿日: 火曜日 - 3 月 15, 2005 07:15 午後