8代目桂文楽のライブ映像


 


私が落語を意識して聴くようになったのは30年ほど前だ。当時は、寄席関連のテレビ番組、ラジオ番組も今よりはるかに多く、意識していれば結構見たり聴いたりできた。当時まだ三遊亭圓生が存命で、彼の演ずる「死神」を聴いたのが落語に傾倒するきっかけだったような記憶がある。その後、レンタルレコード、CDが全盛になったときに、落語のカセットテープを何本も借りてきて、いろいろな噺家を聞き比べるというようなことをやっていたが、そのときに古今亭志ん生に出会った。もちろん当時すでに死んでおり、音でしか聴くことができなかったが、そのあまりのすばらしさというか面白さというか破天荒さにすっかり感服して、私の中では史上最高の噺家という位置づけになったのである。その後、私自身も志ん生のCDを買い集めて、この人が観客の影響をかなり受けるタイプ、つまり雰囲気でずいぶん質が変わる噺家ということがだんだんわかってきた。そのため同じ題目を演じていても、ライブ音源によって全然違うということがよくあるのだ。
志ん生の全盛時代は、圓生の他、桂文楽などという人もいて、このあたりが戦後の落語黄金時代を引っ張っていったらしい。この時代は、ラジオ放送が全盛で、そのために落語も引っ張りだこになり、名人も多く出た。ありがたいことに、ラジオ放送のために録音された音源が今でもかなり残っている。で、当時の名人芸をCDなどで聴くことができるわけで、三遊亭金馬の「藪入り」や三笑亭可楽の「らくだ」など、いわゆる十八番芸もCDで出されている。志ん生の十八番芸「火焔太鼓」や圓生の「死神」も聴くことができるわけだ。で、当然のごとく、桂文楽のCD(もしくはカセットテープ)も試しに聴いてみたりするのだが、これが、聴いていてあまり面白くないのだ。志ん生や圓生と人気を分けた人とは思えないくらいで、確かに立て板に水のように話は流れていくのだが、どうも聞く側(つまり私ね)の琴線に触れずに通り過ぎていってしまう。客がいようがいまいが同じように話しているという印象で、このあたりは志ん生と正反対である。何でも、文楽という人は大変な完璧主義者で、噺もよどみなく展開させるような人だったという。俺は破天荒な志ん生の方が良いやなどとは思っていても、何となく気になる。音で聴いただけではわからない魅力があったのではないか。当時人気を分けていたくらいだからきっと何かあるに違いない、いつかライブ映像を見る機会があったらぜひ見てみたいものだ……とこう思っていたわけだ。(ああ、前振りが長かった……)
で、今年の正月に、TBSチャンネル(CS)で『落語特選会スペシャル』が放送され、そこでこの8代目桂文楽のライブ映像が流れたのだ。文楽の映像は、圓生ほど多くはないが、わりに残っているようだ。だが、そのとき放送されたのはカラー映像で、カラーということになるとほとんど残っていないらしい(放送でも司会者が貴重だ貴重だを連発していた)。ちなみに志ん生のライブ映像(倒れる前の映像)は、2、3本しか残っていないようだ。私は「おかめ団子」という演目を見たことがあるが、やはり音だけとは違うもので非常に面白く、同時に大きな感慨があった。「幻の映像」という感じである。志ん生が映画に出演して落語をやっているというものも見たことがあるが、客がいないので、こちらはどうも「動いている志ん生」というそれだけの価値しかないと感じた。
さて、文楽のライブ映像だが、やはり聴くと見るとは大違いで、この人の人気というのがうなずけるものだった。放送された演目は「愛宕山」と「つるつる」で、どちらも幇間(たいこもち)が出てくる噺だが、これが実にうまい。本当の幇間のようで、イメージの中でしか知らなかった幇間がリアルに浮き出てくるような印象を受けた。なんでも文楽の生前、本物の幇間が、文楽演ずる幇間のことを「本物より本物らしい」と表現したというが、十分うなずける話だ。
司会者の山本文夫と解説の榎本滋民が、やはり文楽の完璧主義のことを話していたことが、こちらもなかなか興味深かった。たとえば、生放送のとき、上演している噺家に残り時間を伝えるために電球(3個あって10分おきに1個ずつ消えていくという)が噺家の目に付く位置に据えられるらしいのだが、文楽の場合、それが不要だったという。しかも、電球がないにもかかわらず、きっちり時間内に噺を収めたらしいのだ。確かにこのときの放送でも、上演時間はほぼ30分だった(厳密に計時したわけではないが)。
だが一方で、榎本滋民氏によると、桂文楽が名乗っている8代目というのも、本来であれば6代目か7代目が正しいのだが末広がりでめでたいから8代目を名乗っていたなど、なかなかオツなところもあり、ガチガチの完璧主義者のイメージとは少し違う側面も持っていたようだ。
ちなみにこの正月の『落語特選会スペシャル』だが、他に圓生の『猫定』(相当珍しい噺らしい)も放送された。文楽や圓生の後には、今の噺家、桂歌丸と柳家権太楼の演目が続いていた。かれらも現在の落語界では非常にうまい部類に入るが、昭和の名人の後にトリを取らされる形になったのは気の毒といえば気の毒であった。私はといえば、文楽と圓生の演目だけ見て、後はまったく見ていないのだ。まあ、歌丸や権太楼は、寄席に行けば見れるわけだし。忙しいときに時間を割いてまでと思ったわけである。ごめんなさい。

投稿日: 水曜日 - 1 月 25, 2006 04:52 午後          


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