『拒否できない日本』を途中まで読んではみたけれど



『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書)という本が人気らしい。なんでもネット上(ブログ)で評判が評判を呼び、売れ行きが伸びたということだ。
内容は、日本の政策が米国の意向に沿った形で決められているということで、そのことが米政府の「年次改革要望書」でつまびらかにされているというようなことだ。この「要望書」に従う形で、いわゆる「改革」や「規制緩和」をはじめとするさまざまな政策が、ほとんど国会を通さずに決められているということも書かれている。書評でこの本を知ったが、なかなか期待できそうだったので、すぐに図書館で予約した。すでに私より先に4人ほど予約していたのだが、気長に待っていたわけだ。で、このたび私の元に届いたので、ちょっとワクワクしながら読んだ。届くまでに1カ月ほど期間が空いたので、その間に同じ著者の処女作『なんじ自身のために泣け』も読んでおいた。
で、結論だが、これはエッセイと受け取る方が良かろう。しかも内容が薄いというおまけ付きだ(『なんじ自身のために泣け』を読んだときもこれにかなり近い感想を持った)。このテの新書は、岩波新書に代表される、学術新書という範疇に入るのだろう。ある程度、しっかりしたデータを集めた学術的な内容を持つもので、専門書ほどの厳密さはないが、内容はそこそこ信頼できるという位置づけである。だから、提示されるデータの質と量が勝負なのである。「ワニの本」などの新書とはその点が違っている。あちらはどちらかというと、データは少ないが、著者の主張を書き連ねていくというパターンである。前者を専門雑誌にたとえるなら、後者は週刊誌に近いと言えるだろう。当然、文春新書の体裁から考えると前者を想像するが、この本については後者に近い。提示されるデータの量が非常に少なく、そのデータを基にして著者が何を考えているかをとうとうと述べるのである。しかもデータはつまみ食いで、あまり裏付けのないものもある。著者は、少し怒りをあらわにしながら書いている。
この本の核となるデータの部分は、結局のところ、私が最初に書いたようなことだけのようだ。それで読んでいるうちに飽きてきた。「あなたの想像や感想は良いから、もっとつっこんでくれよ」と感じた。で、半分ぐらい読んだところで止めて、あとは飛ばし読みになった。
「ワニの本」などの新書は、結構話題になることが多かったため、高校生くらいのときに何冊か読んだ。子供だからそういうのに飛びつく。それに内容が一見センセーショナルで、興味を引くしね。新聞広告もなかなかキャッチーだ。でも実際に読んでみると、内容が薄すぎるせいか、まったく記憶に残らないのだ。当時読んだ『ソビエト帝国の崩壊』は、確かに結果的には予言の書になったわけだが、「ソビエト帝国の崩壊」というセンセーショナルなタイトル以外まったく憶えていない(著者の経歴はインパクトがあったんで結構憶えているが)。たぶん、内容が乏しかったせいだろう。この点、同じくソビエトの崩壊を予言したと言われるエマニュエル・トッドの著作とは一線を画すのかも知れない(まだ読んでないからわからない)。
この著作も、そういうものと同じような発想で読む方が良いだろう。内容には目新しさもありそこそこ楽しめるが、最後まで著者とつきあうのは、私にとっては苦痛だった。

投稿日: 木曜日 - 11 月 03, 2005 10:27 午後          


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