バカの壁の壁



養老孟司のベストセラー、『バカの壁』を買って読んだという知人が、「内容があまりにくだらん」と憤っていました。「どういう点がくだらないんだ」と聞いたら、「説明できないが、ともかくくだらん」と言うのです。「「説明できないがくだらん」というのは、著者に対してあまりに失礼じゃないか」というと、「著者の方だって自分で書いてるわけじゃないから、読者に対して失礼だ」とこうです。「どういうことだ」と聞くと、聞き書きらしいのですね、これが。とはいえ「説明できない」と言うのであれば、話がまったく広がらないんで、何とか説明するよう迫ったところ、飲み屋でクダをまいているオッサンのハナシだと言って、こういう情景を書いてよこしたわけです。

○飲み屋
偉そうな上司と部下数人が同じテーブルについている。酒もまわってきて、上司が講釈を垂れ始めた。部下数人、「ごもっとも」とこれを拝聴している。
部長「個性なんてものはね、ありゃ欺瞞だよ」
課長「ほー、そうですか……これはちょっと拝聴したいですな。(他の皆に)なあ」
部長「人間はみんな違うんだからな、大体君の皮膚をオレに移植しても絶対くっつかないだろ」
課長「はー、ごもっともです」
部長「そもそも、どの人間も違うんだから、個性だ個性だって言うなってことだ。違うのは当たり前なんだからな。君も「個性を大事にしろ」なんて部下に言ってるんじゃないのか?」
課長「いや滅相もございません」
部長「本当の意味で個性的になったとしたら、それこそ精神病院に入れられてしまうよ(大笑)」
一同、笑う。
部長「松井やイチローや中田はその点、個性的だ」
主任「……個性は欺瞞……っておっしゃってたようですが……」
部長「何だ、お前は。よくわかっとらんな。あいつらは身体が個性的にできてるってことだ。誰にもまねができないだろ」
課長「(主任に)君、つまらんこと言うんじゃない」
部長「わからんヤツがいるもんだな。(課長に)君の教育がなっとらんからじゃないか」
課長「いやあ、なかなか手厳しいですな……(苦笑)」
部長「まあいい。それに、長嶋も個性的だ。運動能力がずば抜けている。その分言葉は変わっとるがな」
課長「変わってますねえ、ホントに」
ヒラ「(長嶋の口調で)いわゆるひとつの……ですからね(笑)」
部長「まあでも、言葉が変だが大変な才能を持っているというのも良くあるケースだ」
主任「たとえば、どういう?」
部長「たとえばだと? そんなこと人に聞かずに自分で考えるもんだ」
課長「そうだよ、君は、人に頼りすぎるところがある」
部長「なっとらんな……なんだ、お前は。さっきから妙にオレに絡むな。なんか文句でもあるのか……言いたいことがあるんなら、聞こうじゃないか」
主任「いえ……部長のお話の意味がよくわからなかったんで……」
部長「そういうのをバカの壁というんだ」
主任「……バカ?……」
ヒラ「(主任に)まずいっすよ」
部長「(課長に)どうも最近の若い奴は困るね……自分だけが正しいと思って、人の話が聞けない……自分が正しいと思っているバカが一番困るんだ」
課長「ハッハッハ……お説ごもっともで……」
ヒラ「(部長に)まあ、部長もひとつ(と酌をする)」
主任「(いたたまれない)」
隣のテーブルの男、聞くともなくこの話を聞いている。
男「(心の中で)コノヤロー、「自分が正しいと思っているバカ」ってお前のことじゃねーか」

ひどいシナリオですが、何でもこの部長の話の多くは、『バカの壁』の内容からの引用らしく、まあ確かにくだらないと言えばくだらないですが、そんなに憤るほどのことかなとも思うわけです。はっきり言ってどうでもいいじゃないかと……。
ちなみに、「バカの壁」という言葉ですが、誰にでも、理解できることと理解できないことがあり、その境界を表す意味で「バカの壁」という言葉を使ってるらしいんです、知人によると(この表現も稚拙すぎると知人は言っておりました)。
で、私、気がつきました。こういう本を読んで、憤る人もいるけど憤らない人もまあ大勢いるわけです。この本がベストセラーになったのも、後者に当たる寛大な人が大勢いたからですよね。こういうことでいちいち怒るんじゃなくて、まあそういう考えもあるよな……というふうに良いようにとる---そういうスタンスもありなんです。ただ、その知人に言わせると、こういう安直な本は絶対許せないと言う。つまり、憤る人と憤らない人の間に壁があるというわけです。これを私は「バカの壁の壁」と名付けました(エッヘン)。
知人は確かに「くだらない」を連発していましたが、問いただしたところ、どうやら最初から最後まできちんと読んだわけじゃないようです。全部読まずに「くだらない」というのもひどすぎると思うんですよ、私は。そこのところを追求すると、「この本のくだらなさに耐えて、読破できる人はほとんどいない。プルーストの『失われた時を求めて』より読破するのが難しい」などと言うのです。しかし、いやしくもベストセラーで、聞き書きの薄い本ですよ。絶対、大勢の人が読んでるはずです。ベストセラーなんですから。でも、買ったけど結局最後まで読んでいない人もたぶんいるだろう。いわゆる「積ん読」ってヤツです。
そこで、私、はたと気がつきました。こういう本に憤らない尊い人の中にも、これを読破できる人と読破できない人がいて、その間に壁があるのではないかと。これを私は「バカの壁の壁の内の壁」と名付けました。
そして、さらに気がつきました。こういうふうに分類すると、いくらでも壁が作れるではないか……と。そうすると、「バカの壁の壁の内の壁のさらに内の壁」などというのも設定できるわけです。
そして、ここでさらに気がついたのです。「こういうことを考えてること自体がくだらない」と。
たとえくだらない本でも、何かを得ることはできます。でたらめな本でも1つくらい真実はあります。くだらないなどと片づけてしまわずに、いろいろ考察して楽しんでみるのはいかがでしょう。
知人にそのことを話すと一笑に付されてしまいました。やはり、バカの壁の壁は超えがたいのだな……とつくづく感じた次第です。

投稿日: 土曜日 - 6 月 25, 2005 07:07 午後          


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