思しきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心ちしける(大宅世継)

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「竹林軒出張所」選集:美術

展覧会の図録を買おうと思い、暑い中博物館まで繰りだしていったが、「すでに売り切れ!」と言われた。県立博物館の企画で図録が売り切れになるということにもビックリしたが……

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前回、たかだかヌードとたかをくくっていたこともあって、あえなく撃沈。あまりの口惜しさに、その後しばらくヌードばかり練習していた。今回は、その轍を踏むことのないよう、何度も練習を積んでからクロッキー会に臨んだのだった……

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そういう私が久しぶりに本を買った。『蔵書票の美』という本で、これは、「特定の人にとって役に立つ5%の本」に入る。

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「竹林軒出張所」選集

チャンスは一度、イエスかノーか


正阿弥勝義 岡山県立博物館で開催中の『幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸』という展覧会の図録を買おうと思い、暑い中博物館まで繰りだしていったが、「すでに売り切れ!」と言われた。県立博物館の企画で図録が売り切れになるということにもビックリしたが、同時に、早く買っとけば良かったという後悔の念がムクムクとわき出す。ま、しようがないが。
 元々こういったもの(焼き物や工芸などの立体の調度)にはあまり目が利かないこともありこれまであまり関心がなかったが、少し前に放送されたNHK-BSの番組(『極上美の饗宴 シリーズいのち映す超絶工芸▽金属に刻んだ一瞬 彫金家・正阿弥勝義』)で、正阿弥勝義という金工を知ったことがそもそもの始まりであった。
 正阿弥勝義は彫金師であることから、金属をいろいろと加工することで機器に装飾を加えるという仕事をしていた。当初はその腕を見込まれて備前岡山藩のお抱え彫金師だったが、明治維新で藩自体がなくなってしまったことにより職を失うことになる。一時期食うや食わずの時代があったらしいが、その後、精巧な器を輸出品として作ることで次第に名前を上げていったという。その後1900年のパリ万国博覧会に出品した芦葉達磨像が賞を受けて名声が確立した。だが、同時代の金工たちが帝室技芸員(今の人間国宝のようなもの)になっていく中、地方(岡山、京都)にとどまり続けた勝義は、生涯その栄に浴することはなかった。
正阿弥勝義 『極上美の饗宴』ではその生涯と作品が紹介されたんだが、僕はそれを見て、あまりの精細な技巧に驚嘆した。しかもその技巧を(通常であれば加工がもっとも難しい)金属に施しているわけで、どうやって作ったのかほとんど見当がつかない。実は同時代の帝室技芸員の作品も見てみたが、かれらの作品は確かに微細で完成度も高いが、「どうやって作ったのかわからない」ということはなく、おおむねその技法は予測がつく。だが、正阿弥勝義に限ってはわれわれの想像すら超越している。何より正阿弥勝義の魅力は、江戸の絵師に通ずるような独特の俳諧趣味というかユーモア・センスにある。ふと口元がほころんでしまうような味わいがあって、見ているだけで幸せな気分になる。たとえば瓢箪を模した大きな器があるんだが、その真ん中あたりに蛇がいて、その周囲を小さい雨蛙が逃げ惑っているものとか、あるいは鳥がハエトリグモを虎視眈々と狙っている香炉だとか、自然の営みが実に巧みに再現されていて、しかもどことなくユーモアが漂っている。また松竹梅と名の付いた器(香炉だったような記憶がある)があり、周囲に竹の意匠が施されている。松と梅は?と思ってよくよく見ると、蓋の取っ手に松ぼっくりと松葉が実にさりげなく付いている。では梅は?と一生懸命考えていたのだが、形状が梅の花の形になっていて、しばらく見ていてやっとそれに気付いたのであった。
正阿弥勝義 そういった一連の作品が岡山県立博物館で展示されていたのだった。東京や大阪でも似たような展覧会が昨年末から開催されていることから推測すると、どうやら巡回展のようである。NHK-BSの番組もこの展覧会を意識したものだった可能性が高い(紹介された作品と展示作品が共通していたため)。僕自身博物館には先月行き、もちろん十分正阿弥勝義を堪能して満足度100%だったのだが、そのとき図録を買おうかどうしようか迷って結局買わなかったのだ。実は正阿弥勝義の作品が掲載されているような本も数冊出ているが、あまり良いものがなくその点この図録はとてもよくできていた。ただあまり金銭的に余裕がなかったので、いったん保留して、それでも欲しいようであればまた買いに来ようと思っていたのである。そういうわけで、結局買いそびれてしまったのだった。「チャンスは二度ない」という教訓であった。ま、それほど大げさなことでもないが(正阿弥勝義も今見直されているようで、いずれ似たような本が出るのは間違いない……と思う)。

2011年7月、記
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「竹林軒出張所」選集

ヌード・クロッキー


 先日、ヌード・クロッキー会に参加してきた。クロッキーというのは速写という意味だそうで、短時間で対象を描画することである。「クロッキー」ということばを使ってネットで画像検索すると、いろいろな作品が表示される。やはりよくできた作品は人に見せたいという心理が働くのだろう。
 かつてやたら人物デッサンをやりたくなった時期があって、あちこちでデッサン会みたいなものがないか探していたのだが、なかなか見つからなかった(東京や大阪だといくらでもあるんだろうが)。で、なかばあきらめていたんだが、いつも出入りしている美術館で半年に1回ずつヌード・デッサン会(厳密にはクロッキーの会だが)が行われていることが分かって、前回から参加しているというわけだ。個人的にはヌードでなくても良いんだがね……いや、ホント。
 前回、たかだかヌードとたかをくくっていたこともあって、あえなく撃沈。あまりの口惜しさに、その後しばらくヌードばかり練習していた。今回は、その轍を踏むことのないよう、何度も練習を積んでからクロッキー会に臨んだのだった。
 今回は、10分のポーズを6回、その後40分のポーズ、20分のポーズを2回というメニューだった(間に適宜休憩が入る)。前回は10分と40分だけだったが、10分のクロッキーと言えばしょせん練習のための描画という感じで、なんだかもの足りない。というわけで、今回20分のポーズを入れてくれるよう僕からお願いしたんである。

 さて、いざモデルさんが入場してくると、室内に緊張が走る。やがて時間になり、ガウンのような簡素な服をはらりと脱ぐ。室内の緊張感がピークに達する瞬間である。いきなり公の場で女性が裸になる瞬間は通常であれば目にすることはなく、考えてみれば相当異様な光景である。初めてのときはさすがにビックリというか少し引いてしまったが、今回は余裕しゃくしゃくである。
 いざ裸体が現れると、非常に恰幅の良いモデルさんであることがわかった。ルノワールがこの場にいればさぞかし喜んだだろう。今回が初めてであれば少しガッカリしていたかも知れないが、まあこういうのもアリかなと割り切ることができた。以前、銅版画の師匠に、ダンバラ・モデルのデッサン会の経験を聞いていたが、僕もついに同じレベルに達することができたわけだ(違うか)。
 ところがこのモデルさん、ポーズが非常に自然で、なかなか描きやすい。さすがプロ!という感じである。でもプロであるならば、もう少しスマートになることを目指すという選択肢もあるんじゃないか……などと考えながら、クロッキーに臨んだ。極力、このモデルさんの体からあふれ出るエネルギーを描きとろう(つまりはリアルに描こう)ということで、6+1+2枚のクロッキー(およびデッサン)ができあがった。あらかじめヌードの練習をしていたせいか、今回は前回のように惨敗ということはなく、そこそこのできかなと思えるようなものができた。そういうわけで、気分良く、美術館を後にすることができたのだった。
 そうそう、描画中、モデルさんがこちらを向く姿勢のときに、描き手を意識するかのような雰囲気が発生し、結果的に画家とモデルの葛藤といった状況が生み出された。まあ、僕の気持ちの上でそう感じただけだから、モデルさんはなんにも感じていない可能性が高い。だが、なかなかスリリングで面白い状況であった。そういう意味でも良いモデルさんだったんではないかと思う。またいつかこのモデルさんに対峙したいものだが、次回はもう少し細くなっていただけると大変ありがたい。あまりに太い方だと、人を描いているというより物体を描いているという感じになってしまうもので(その方が本来的には正しいのかも知れないが、僕は人を描きたいのだ)。ひとつよろしくお願いしたい。

2009年7月、記
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ヌード・クロッキー
事前に練習したデッサン
(左は模写、右は写真から)



ヌード・クロッキー
10分、黒チョーク



ヌード・クロッキー
40分、鉛筆



ヌード・クロッキー
20分、鉛筆