思しきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心ちしける(大宅世継)

批評、随筆、芸術のアーカイブ・サイト……竹林軒

「竹林軒出張所」選集:放送

このたび、僕が考える将棋解説者ベスト5というのを発表しようということになった。こんなランキングが何になると聞かれても困るのだが……

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僕は、関ヶ原の戦いに参加したことがある。他にも桶狭間、三方ヶ原、小牧・長久手に参加し、長篠は少し曖昧だがたぶん出たんじゃないかと思う。さらに時代を下って、幕末の戊申戦争や西南戦争、神風連の乱にも参加している……

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さて、「旺文社大学受験ラジオ講座」だが、今でも大学祝典序曲が使われているのだろうかと気になって調べてみたところ、なんと、すでに、1995年4月をもってラジオ講座自体が終わっていたことが判明した……

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その昔『キンカン素人民謡名人戦』というテレビ番組が放送されていて、土曜日の午後の顔になっていたことを皆さんは知っておられるか。

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「竹林軒出張所」選集

「将棋中継解説者」
「将棋中継聞き手」ランキング



 ある日曜日の午前、ヒマをもてあましてテレビのチャンネルを変えていると、NHK教育テレビである女性が
「日曜日のひととき将棋トーナメントでお楽しみください」と言っていた。そのとき、日曜日の朝から誰が将棋なんか見るんだよと思ったものだが、それから十数年経った今、僕がこの将棋トーナメントをテレビで見る立場になった。
 『シリコンバレーから将棋を観る』(梅田望夫著、中央公論新社刊)という本で、「指さない将棋ファン」(対局を観て楽しむ将棋ファンのこと)が提唱されており、これがさまざまな層で賛同を集めたという。一般的に将棋ファンといえば、人と対局することを楽しむ人々を指すが、プロの対局を観戦して楽しむファンもいて良いじゃないかという発想で、同じような考えを持つ人も多かったようだ。
 かく言う僕もその一人で、アマチュア有段者でありながら実戦は非常に弱い。ただテレビの将棋対局は非常によく観ており、先述のNHKトーナメント以外にも銀河戦も見ているので、大体週に3局は見ていることになる。
 将棋に興味がない人にはまったく魅力はわからないだろうが、見ていれば結構面白さもわかる。ただ、僕も見始めて3年近くになるが、いまだに戦術や戦略についていけないことが多い。スポーツ中継の場合、これくらいの頻度で見ていれば、おおむね理解できるものだが、やはり将棋は奥深いということなのだろう。プロ棋士の思考なんて遙か彼方の世界である。そこで、対局中継にプロの解説者が必要になるわけである。
 対局の内容が良くても、解説者があまりうまくないと、見る方としては面白くない。対局がすばらしくて、解説が適切かつ面白いというのがベストである。というわけで、将棋中継において解説者が占める役割は非常に大きい。
 こういう次第で、このたび、僕が考える将棋解説者ベスト5というのを発表しようということになった。こんなランキングが何になると聞かれても困るのだが、将棋中継を見る際の参考くらいにはなるんじゃないかな。なにしろ日本人は江戸の昔からランキングが好きだから。
将棋中継解説者・聞き手ランキング
1. 木村一基八段
2. 中川大輔七段
3. 福崎文吾九段
4. 井上慶太八段
5. 豊川孝弘七段
6. 畠山鎮七段

 独断ではあるが、木村八段や福崎九段はオモシロ解説にすでに定評があるところで、多くの将棋ファンに同意いただけると思う。また、中川七段は、僕が将棋中継を毎週見るきっかけになった解説者であり、切れ味鋭い語り口が魅力的である。このランキングはいわば暫定順位で、今後随時変動することになる。ま、誰も期待してないだろうが。







将棋中継解説者順位戦
ランキング(2009年8月現在)
名人  木村一基八段    
A級  中川大輔七段    
 福崎文吾九段
 井上慶太八段
 豊川孝弘七段
 畠山鎮七段




将棋中継解説者・聞き手ランキング



 将棋解説者の善し悪しが将棋中継の面白さの大部分を決めると書いたが、聞き手についても重要である。ほとんどの場合、プロの女流棋士がこの役を務めることになるが、こちらも性格や将棋に対する熱意によって将棋中継が面白くなったり、今一つになったりする。もっとも解説する棋士との相性などもあり、一概にどの聞き手がすばらしいとは言えないかも知れないが(これは解説者の方にも当てはまる)。
 現在、NHK将棋トーナメントでは、矢内理絵子女王(この「女王」っていうタイトル名、何とかならんかね)が聞き手(本人は番組の最初に「司会」を名乗っている)を務めているが、さすがにタイトルホルダーだけのことはあり突っ込みが鋭く、その割におごった感じもなく、好感度が非常に高い。4月に中倉宏美女流二段から交代したのだが、矢内理絵子になるという話を聞いたときはゲーッと思ったものだ。それまで僕の中で非常にイメージが悪く、いつもムッとしている印象しかなかったためである。しかし将棋指しが対局中に怖い顔をするのは当然で、それまで対局でしか見たことがなかったため印象が悪かっただけなのだった。ときどき目にするきつそうな人が、話してみたら意外にいい人だったという感じである。
 NHK将棋トーナメントには、女流棋士が毎年一人参加するんだが、今年は矢内女王が予選を勝ち抜いて参加することになった。出場者が聞き手を務めているというわけで、当然出場する回は別の人が聞き手を務めるんだろうと思っていたところ、今週の放送ですでに矢内女王ではなく千葉涼子女流三段が出ていた。ちなみに矢内女王の対局は来週である。来週も千葉女流らしいから、もしかして将棋トーナメントは2回撮り?と勘ぐってしまう。
 そんなことはどうでも良い。で、以前の将棋解説者ベスト5と同じように、聞き手のベスト5も選んでみようと考えた。おそらく世界初の試みではないかと思う。対象となったのは、銀河戦中継(これがメイン)とNHK将棋トーナメント、囲碁将棋ジャーナル、さまざまなタイトル戦中継などである。
将棋中継解説者・聞き手ランキング
1. 矢内理絵子女王
2. 山口恵梨子女流一級
3. 鈴木環那女流初段
4. 山田久美女流三段
5. 貞升南女流一級
6. 本田小百合女流二段

 将棋ファンでもあまり知らないような名前が出ているが、そこはそれ。
 意外なのは2位に入れた山口恵梨子で、銀河戦で2回見ただけなんだが、18歳にして堂々としており、しかも熱心さ、真摯さがいかんなく伝わってきて、好感度ナンバーワンである。昨年度までNHKに出ていた中倉宏美さんも癒し系具合がとても心地良かったが、うまい聞き手の人がたくさんいたため外れてしまった。この分野、将棋解説者部門よりも激戦である。ベスト10をやっても良いくらいだ。
 このランキングも暫定ということで、今後更新する(かも知れない)。別にしなくても良いって? まあそう言わず……。

2009年7月、記
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将棋中継聞き手順位戦
ランキング(2009年8月現在)
名人  矢内理絵子女王 
A級  山口恵梨子女流一級 
 鈴木環那女流初段 
 山田久美女流三段 
 貞升南女流一級 
 本田小百合女流二段


将棋中継解説者・聞き手ランキング

「竹林軒出張所」選集

関ヶ原参戦の記

 僕は、関ヶ原の戦いに参加したことがある。他にも桶狭間、三方ヶ原、小牧・長久手に参加し、長篠は少し曖昧だがたぶん出たんじゃないかと思う。さらに時代を下って、幕末の戊申戦争や西南戦争、神風連の乱にも参加している。
関ヶ原参戦の記  神風連の乱(1876年10月24日) 何をほざいているのだと思われるかも知れないが、つまりテレビ映画のロケの話で、エキストラとして出ていたというわけ。
 かつて京都に住んでいたとき、金欠のためバイトに明け暮れていたのだが、秋から冬にかけて東映京都で大々的にエキストラを募集していたことがあって、これに応募した。撮影が終わるまで拘束されるが(逆に早く終わったらその時点で解放→報酬減)大半が待ち時間で、しかもいざ仕事といっても走り回ってるだけなので、大変楽で割の良い仕事である。特に始めたばかりの頃は、目新しいことばかりで結構楽しい。当時、民間キー放送局が年末年始に長時間ドラマを始めた頃で、ほとんどのキー局がこういった類のドラマを放送していたんじゃないかと思う。そのうちの多くが東映京都で製作されていた。そのとき製作されていた二大大作が『田原坂』(日本テレビ系)と『徳川家康』(TBS系)で、この撮影が当時の東映京都でメインになっていたため、僕も関ヶ原や桶狭間に従軍(参加)することになったわけである。

関ヶ原参戦の記     足軽の皆さん、走る 画面に映るようなエキストラはプロがやるので、われわれバイトは足軽として後ろの方をワーワー言いながら走り回っている。足軽だから、脚絆や股引、簡単な鎧を着けて笠をかぶるという出で立ちで、髷なんかは当然付けない。撮影中に笠が取れたら現代風の髪型が登場してぶちこわしになるので、それだけは気をつけなければならない。桶狭間では大雨が降っていた(人工的に降らせていた)ので疲労が蓄積して大変だったものだ(遠い目……)。
 参加したドラマをもう一度見てみたいとは思っていたんだが、どのレンタル店にもDVDが置かれていないようで半分あきらめていたところ、先日、近所の関ヶ原参戦の記 かくて関ヶ原の戦いの火蓋は切られたTSUTAYAで『田原坂』を発見した。というわけで『田原坂』のDVDを借りて見てみた。もちろん、ドラマ部分は飛ばしながら、合戦シーンのみに集中するのである。だから6時間くらいのドラマだが、40分くらいで見終わった。撮影中、本格的な鎧甲を着けて参戦(参加)したシーンが1つだけあって、神風連の乱なんだが、そこにしっかり僕が映っていた(ような気がする)。家人に教えても、はぁ?ってなもんで、まったく感動はないようだ。そういえば、実際の放送時にもビデオに撮って友人に見せたんだが、似たような反応だった。「これ俺!」などといっても、大笑いされて「絶対本人じゃなきゃわからない」と言われた。
 とは言っても久々にこの合戦シーンを見ると、いろいろな記憶が甦ってくる。なんだか懐かしくなった。

徳川家康 『徳川家康』の方は、DVDが出ていないものとずっと思っていたんだが、こちらもTSUTAYAにあることが分かり、早速借りてきた。関ヶ原の戦いでは、間諜の役でちょっとだけ映っているシーンがある(これも絶対に本人しかわからないが)。そのシーンは是非見てみたい。
 こちらのDVDでも、例によってドラマ部分は飛ばし合戦シーンをスキャンしながら見た。このドラマでもいろいろなことが甦ってきて懐かしくなる。三方ヶ原の戦いは出たことすら憶えてなかったが、このDVDを見て思い出した。京都近郊の河原(宇治川だったと思うが)で撮影されており、主役の人達も来てたよなあなどと思いながらね。そうそう、こういうドラマにありがちだと思うがほとんどのシーンは、京都近郊で撮影されております。浜辺のシーンは琵琶湖で、川辺のシーンは宇治川で撮影します(場所もほぼ決まっているようだ)。城が出てくるシーンは彦根城ですね。『徳川家康』では、彦根城がいろいろな城として登場しています。しれっと「……城」というテロップまで付いている。どれも一緒だっつーの。
関ヶ原参戦の記     足軽の皆さん、戦う こちらは、ドラマ部分が割に面白くて、合戦シーンのみを見るつもりだったにもかかわらず、下巻に至ってはほとんど見てしまった。女好きの家康(松方弘樹)という設定も面白い。豊臣秀吉を緒方拳が演っているのもなかなかである。緒方拳の豊臣秀吉は、NHK大河ドラマでも再三再四演じられていて「ザ定番」である。真田広之の石田三成も実務家として表現されており、これも「ザ定番」になるんじゃないかというようなデキである。ちなみに監督は降旗康男で、『駅 station』や『鉄道員』を撮った人である。
 そうそう、関ヶ原でした。間諜のシーンは申し訳程度に出演していた。「本人しかわからない」というより「本人にもわからない」というレベルであった。
関ヶ原参戦の記   御大将の旗色が悪くなる 関ヶ原では、他にもいろいろな陣営の足軽として参加しているはずなんだが、どこの陣営で出ていたかほとんど憶えていない。というより、出ていたときからわからなかったのか……。この衣装を着けてくれと言われるままに走り回っているわけだから、関ヶ原マニアでなければわかるまい。ただ、石田三成の部下になったことはぼんやりと記憶している。関ヶ原の最後のシーンで、石田三成が劣勢を感じながら突進を命じるんだが(これがハイライトになっている)、そのシーンを見ながら思い出した。
そうだそうだ、この中に俺はいたんだ……俺も討ち死にしたんだ……
 なにやらあの世からの回想のようだが、そういった中でドラマは終了し、家康様が天下を取ったのだった。なかなか面白いドラマだった。正月にゴロゴロ見るドラマとしてはなかなか良いんじゃないかと思った。

2009年7月、記
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「竹林軒出張所」選集

大学受験ラジオ講座回顧

大学祝典序曲から大学受験講座へ


(写真と本文は関係ありません)
 知人から『ドイツ学生の歌ベスト・アルバム』というCDを借りた。貸してくれたのはクラシックの好きな年輩の方で、この方のフェイバリットCDだそうだ。19世紀のドイツの大学生の愛唱歌を集めたCDということで、僕の方はあまり気乗りがしなかったが、借りたからには聞かなければならない。
 1曲目が「狐の行進を迎える歌」。タイトルからしてあまり食指が動かないが、とりあえず聞いてみた。で、びっくり。いきなり「旺文社大学受験ラジオ講座」のテーマ曲が流れ出した。このメロディはブラームスの大学祝典序曲のはず……。なるほど、ドイツの大学生が、大学つながりで大学祝典序曲からメロディだけ拝借して替え歌にしたんだななどと思いつつ解説書を読むと、話は逆で、「狐の行進を迎える歌」がオリジナルで、ブラームスが大学祝典序曲を作曲する際にパクったというか引用したというのが真相らしい。解説によると、ブラームスは大学祝典序曲で、このCDの2曲目「ガウデアームス」と3曲目の「ランデスファーターの歌」からもメロディを拝借しているらしい。早速2曲目、3曲目を聞いてみると、確かに「そうそうあのメロディ」という箇所がある。つまり、このCDでは、大学祝典序曲の引用元になった3曲を冒頭から並べているというわけだ。実に面白い。ちなみにブラームスは、オリジナルのメロディを作るのが苦手で、弟子のドヴォルザークの曲からオリジナルのメロディがとめどなくあふれ出るのをうらやんでいたという(<昔、どこかで聞いた話)。ブラームスは編曲の名人なのである。

 さて、「旺文社大学受験ラジオ講座」だが、今でも大学祝典序曲が使われているのだろうかと気になって調べてみたところ、なんと、すでに、1995年4月をもってラジオ講座自体が終わっていたことが判明した(Wikipediaより)。14年前に終わっていたのに今の今まで気が付かなかった。考えてみれば、ラジオもほとんど聞かなくなったし大学受験にも縁がなくなったので、気が付かなかったとしても別段不思議なことではないのだ。ただ僕自身、相当お世話になったので感慨深いものはある。

 以下は思い出話。

 僕は大学受験で結構苦労し、都合2年浪人したんだが、ラジオ講座は高3のときと1浪のときに聞いた。志望校のレベルが、当時の僕にとってあまりに高すぎたため、高3になってから、藁にもすがる思いでラジオ講座を聴くようになった。当初ラジオ講座は、ラジオたんぱの深夜枠で聴いていたが、あまりに受信状態が悪く(昼間は良いんだが夜になるととんでもないことになる)しかも眠くて仕方ないので、愛媛の南海放送の早朝の放送をカセットテープに録音して聴くようになった。南海放送がなぜかよく聞こえたんである。ラジオ講座を始めたときは、なんだかレベルが低そうで(いやいや本当は僕の方がずっと低かったんだが)とうてい志望校に受かるのに十分だとは思っていなかったが、ペースメーカーとして使うのもありかななどと非常に傲慢なことを考えていたわけだ。たしかその頃のラジオ講座のテキストにも、読者からの質問として「ラジオ講座だけで本当に志望校に受かりますか?」という質問が紹介されていたので、多くの受験生にとって同じような感覚があったのだろう。今の僕の実感から言うと「志望校に受かるにはラジオ講座だけで大丈夫」ではあるが、自分の方のレベルが上がってくると少しもの足りなくなってくるのも事実である(もっと本質的な部分まで近付きたいという欲求が出てくるんだろう)。そういうこともあり、僕自身は2浪のときにはあまり聴かなくなった。

 洋楽の歌詞を題材にして英語の勉強をしようという講座もあった。これは面白かったので、2浪のときにも続けて聴いていたような気がする。こういうやり方は、外国語上達の上で最適な方法だと今では思うが、当時は少し邪道のような気もしていた。同じような講座は「百万人の英語」でもやっており、こちらも時々聴いていた。松山正男という先生が、ネイティブの女性(そうそう、思い出した、ロージー・ライドアウトさん)と一緒にやっており、まず歌を聴いてから、ライドアウトさんが詞を朗読し、その後松山先生の歌詞や単語の解説、最後に「もう1回聴いてみましょう」ということで、もう1回聴くという流れである、たしか。その後、決まり文句(いわゆるイディオム)や若干の入試問題を紹介したりしていた。
 当時、僕は洋楽をほとんど聴いていなかった洋楽童貞だったので、この講座を通じて知った曲は多い。ビートルズは曲によってはある程度知っていたが、ジョン・レノンやボブ・ディランはほとんど知らなかった。ビートルズとジョン・レノンはそれから数年して良さがわかるようになり、CDをすべて買い集めるほどになったので、この講座の影響は大きかったのだろう。

 それから講座の最後に旧制高校の寮歌をみずから歌う先生もいた。北大出身の中田靖泰先生は、札幌農学校のいろいろな寮歌を毎月歌っていた。僕は北大が志望校ではなかったが、おかげで「都ぞ弥生」(札幌農学校の寮歌)は憶えてしまった。京大出身の勝浦捨造先生は、第三高等学校の「紅萌ゆる」とか「琵琶湖周航の歌」とかを、叫ぶような声で披露していた。「琵琶湖周航の歌」は幻の6番だか7番だかも紹介していた。この人は三高(か京大か忘れたが)に入るときに3浪したらしく、「失敗したら何度でも挑戦すればいい。何度でも挑戦してそれでダメだったらあきらめる。それが大学です」と言っていた。浪人していた僕にはこの言葉が染みた。
 大学に入ると、ラジオ講座を聴いていたという同級生や先輩がいて、いろいろなラジオ講座講師の物まねをやったりして盛り上がったりするんだが、しばらくして勝浦捨造先生が死んだという話を聞いた。皆、一様に勝浦捨造は良かったと語ってしんみりした。
 数学の寺田文行先生は「数学の問題は解けるようにできている」と口を酸っぱくして言っていた。この先生は、声がよく通ってメリハリがあり、中身も面白いんで、聴いていて眠くなることはなかった。内容も密度が濃かった。
 僕が行っていた予備校の数学の先生が寺田氏を敵視するような発言を繰り返していたが(「僕みたいな優秀な人間が予備校で教えなきゃいけない」などと言う人で、僕は反感を持っていた)、あれは嫉妬だったんだろうか。今ふと気が付いたが、寺田文行氏は当時早稲田の教授で、この予備校の先生も早稲田出身だった。もしかしたら大学に残るとか残らないとかで何か因縁があったんだろうか。

 ラジオ講座は、時代によって講師も変わり、運営方法なんかも変わっているようなので、人とラジオ講座の話をして盛り上がるということもあまりないだろうが、ラジオ講座のことで話が合うとしたらやはり同年代ということになるのだろうか。その場合は、ある種、同窓会みたいな感じになるのかもしれない。僕にとってはラジオ講座が母校に近いような感慨もある。僕自身、実際の母校で親近感を持っているものがあまりない(予備校くらい)ので、余計に懐かしさを感じるのかも知れない。

各種リンク
大学受験ラジオ講座(Wikipedia)
大学受験ラジオ講座聞いてた人!!(2ちゃんねる)(← 一部で盛り上がっているが、やはりあまり続いていない)
勝浦捨造氏のエピソード

2009年6月、記
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「竹林軒出張所」選集

孫にはやけに優しいがその実とんでもなく頑固な老職人を思わせるCM


 その昔『キンカン素人民謡名人戦』というテレビ番組が放送されていて、土曜日の午後の顔になっていたことを皆さんは知っておられるか。
 僕がテレビでよく目にしていたのは1960年代後半から70年代までだったが、実際には61年から93年まで続いた長寿番組で、司会者も5、6回代わっているらしい。僕が見ていた時代は、パッとしないおじさん(三和完児という人)と鈴木ヤスシで、司会者もパッとしないが内容自体もパッとしないという、そういう番組だった。
 なんと言っても素人参加型の民謡番組という地味にもほどがあるコンセプトで、他に例がないという意味ではオリジナリティ抜群ではあるが、どうしてこういう異色の番組があったのか、しかもキンカンという冠がついた一社提供の番組が……と考えると、当然、キンカンの会社の偉いさんが民謡好きなんだろうかなという点に落ち着く。で、今Wikipediaで調べるとやはりそうだったようで、いくら民謡好きだと言っても、こんな地味な番組が30年以上も続いたのは今考えると驚きである。
 民謡になんぞまったく興味がなかった当時ガキンチョの僕ではあったが、土曜の午後、何をするともなくテレビをつけているとこの番組が出てくるわけで、今考えると結構よく見ていたことになる。とは言ってもそのせいで民謡好きになったりすることもなく、むしろ、審査員が小さなプラカードみたいなものを使って素人歌手の歌を採点したりするという趣向が面白いと感じていたのである。しかも司会者がそれに合わせて「10点、10点、10点と出ましたっ」などと叫んだりするのもまた一興であった。
 どうしても年配の方向けというイメージがつきまとうんで、同世代の人間(当時の若者)でこの番組を知っている人がいるのかはよくわからないが、僕が学生になってから、ある同級生がくだらないシャレを言ったときにすかさず「10点、10点、10点と出ましたっ」と言い放った際にごく一部の人間の間で受けていたんで、おそらく彼らはこの番組を見たことがあったんだろうと思う。いずれにしても当時の若者にとってはマイナーな存在であったのは確かである。
 でまあ、番組についてはその程度の印象しかないんだが、そのときのコマーシャルがなかなかキョーレツだったというのが今日の本題である。言わずと知れた、金冠堂(当時テレビでは「キンカン本舗」と言っていたような気がするが)の商品、キンカンのコマーシャルだが、まずコマーシャルソングが非常に印象的。単純かつ明るい童謡のようなメロディで、詞もリズミカルでなかなかふるっている。こんな歌詞ね。

キンカンCMソング
作曲:服部正/作詞:藤浦洸

カンカン キンカン キンカンコン
カンカン 鍛冶屋のおじいさん
肩こり 腰の痛みには
キンカン塗って また塗って
元気に陽気に キンカンコン
☆ミカン キンカン サケノカン
ヨメゴモタセニャ ハタラカン
カンカン キンカン キンカンコン
カンカン 家庭の常備薬
毒虫 水虫 蚊やぶよに
キンカン塗って また塗って
明るい暮らしを キンカンコン
☆(繰り返し)

 キンカン自体がどういう製品かはよく知らないが、虫刺されとか肩こりとかに効く薬なんだろうなというのは歌からも推測できる。そういう意味でもコマソンとしては絶品なんだろう。ちなみにこの歌、現在、金冠堂のホームページで聞くことができる(『金冠堂のホームページ | CM紹介』を参照)。Wikipediaによると、60年代のCMソングは「唄:雪村いづみ・ダークダックス」ということになっているが、ホームページで提供されているバージョンは、おそらく天地総子が歌っているんじゃないかと思う(ちなみに僕が馴染んでいるのもこのバージョン)。
 もう一つ記憶に残っているのは、ある時期に放送されていた(おそらく期間限定の)キンカンのコマーシャル。先ほども書いたようにキンカンを使ったことがないのでよく知らないが、匂いが独特だったらしくて(なんせ主成分はアンモニア水だから)、当時、これを改善してほしいという要望が顧客から会社にたびたび寄せられていたようだ。それについてコマーシャル内で言及するんだが、そのときに金冠堂からの回答として「キンカンは香水ではないのです!」と言い放っていたのだった。あまりの潔さに、当時まだ少年だった僕の心には強い印象が残った。匂いがきつくてイヤという声が客からあがったら、香料を加えるとか匂いの成分を研究して変えてみるとかするのが一般的なアプローチなんだろうと思うが、「香水ではない」と言い切るとはなんという頑固さ。製品によほど自信があるんだろうと子ども心に妙に納得したのを憶えている。あの時代、あの正露丸ですら糖衣錠を出して、それをしきりに宣伝していたというのに……。
 あれから数十年、キンカンは今でも昔と似たようなパッケージで売られているようだが、その後内容成分はどうなったのだろうかと思う。成分は相変わらずで独特の匂いが残っているのだろうか、もしかしたらその後日和って匂いが改善されたりしているのではないか、非常に気になるところではある。昨今ではあまり見られない職人的頑固さが今でも残っていることを期待している自分がいるのだった。

参考:
『金冠堂ホームページ』

2014年2月、記
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